ここでは、心霊現象や霊界などの資料を掲載していきます。

霊界と現界は表裏一体 邪霊からの作用か聖霊からの導きか 高い波調を持てば、不幸な目には遭わない 地獄的な波調の霊とは交流すべきではない
心霊現象とは 精神的心霊現象さまざま 物理的心霊現象の種類 知られざる物理霊媒 竹内満朋
ある交霊会所見 千鳥会と心霊実験

霊界(あの世)と現界(この世)は表裏一体

霊能力がないほとんどの人々にとっては、やはり霊界というのは曖昧な存在である。
最終的には、自分の身で体験しないことには、そうした世界が本当にあるということが実感として湧いては来ない。
多くの人は、日常生活において、霊の世界を意識することはあまりないかもしれない。
そういう人々に霊界の様相など説いたところで、

「そんなあるんだかどうかわからない、われわれとは直接関係のない世界の話をされても、結局何の役にも立たないではないか」

と一笑に付されそうである。
だが、霊界がわれわれと直接関係のない世界≠セと思われるなら、それは大きな誤りである。
なぜか。
霊界と現界とは、一枚の紙の表と裏のように一体のものだからである。
気づく、気づかないにかかわらず、われわれは常に、霊界からの交渉を受けながら、日々を生きている。
私ももともとは頑迷な無神論者であり、霊界だとか神の話をする者など頭から「現実逃避以外何物でもない」と馬鹿にしていた。
ところが、実際に研究してみると、いかに自分の考えが浅薄なものだったか、思い知らされた。
われわれは誰しも、霊界と無関係ではない。
霊界が存在するために現界が存在し、またわれわれの生活が成立していると言ってもよいくらいだ。
それは具体的に言って、どういうことなのか。
本稿では、霊が地上界に住むわれわれに及ぼす影響と、霊界における重要な神秘などについて解説していくことにする。

「日月神示死者の書」中矢伸一


邪霊からの作用か聖霊の導きか

私が、かつての無神論者から一転して霊界実在論者となり、有神論者となった背景的な事情は、一言では言い表せない。
だが、私の直接体験した様々な霊的な現象が、霊界の実在を確信させる要因となったことは確かである。
その霊的な現象とは、主に憑霊現象である。憑霊とは、文字通り、霊が肉体に憑依する現象のことだ。
憑霊現象は、とくに自分自身に霊能のない人でも霊の世界の実在を知ることの出来る、もっとも身近な霊現象である。
先に触れたように「大本」は、皇室をも巻き込み、全国紙を傘下に治め、その強大な社会的影響力を官権から脅威と受け取られ、徹底的に弾圧されている。
そこまで教線を拡大した理由には、開祖・出口ナオのお筆先『大本神諭』に示された予言や、出口王仁三郎が確立した教説的内容も挙げられるだろうが、何より、鎮魂帰神法≠ニ呼ばれる霊的行法を全面に打ち出したことが、大きかった。
鎮魂帰神法とは、意図的に憑霊現象を誘発させる修法のことで、当時は「大本」へ行けば誰でも神秘体験が出来ると思われていた。
谷口雅春(生長の家)、友清歓真(神道天行居)、岡田茂吉(世界救世教)といった、後に新宗教の教祖的存在となる錚々たる顔ぶれがぞくぞくと「大本」に参集したのも、実にこの鎮魂帰神法によるところが大きかった。
うら若き青年であった谷口は、「大本」で受けた鎮魂帰神で、自らの口を使って狐の霊≠ェしゃべり出すという体験をしているし、友清の場合は天狗の霊≠ェ飛び出している。彼らはこうした神秘体験に驚き、強烈な「大本」信者となった。
病弱であった岡田は、鎮魂帰神により憑霊が人体に深く影響している実態を知り、これらを自らの薬毒論とつなげて浄霊≠ニいう癒しの業を編み出すに至った。
当時の「大本」で鎮魂帰神法の指導を行っていたのが、帝大卒のエリートであった浅野和三郎である。浅野もまた鎮魂帰神により霊魂の存在を知り、「大本」に入信、やがて「大本の浅野か浅野の大本か」と言われるほど強大な影響力を持つようになった。
大正10年に起こった第一次弾圧を機に彼は「大本」を去り、「日本心霊科学協会」を設立したが、これは日本国内最大の心霊研究団体として現在に至っている。
私の場合も、憑霊現象は多く体験している。霊媒としてではなく、むしろ神道で言うところの審神者(憑かった神を審定する者)としてである。
霊が人に憑依するという現象は、誰にでも起こり得る。それが自覚出来るケースは一般には少ないが、人間なら誰でも、何らかの影響を受けていると言える。
憑依≠ニいうのは、それが単に顕在化した時の現象を指して呼んでいるに過ぎない。
その霊的な影響が、幽界(地獄界)的なものであるか、天界(天国界)的なものであるかについては個人差があるだろうが、たいていの場合は前者である。
わかりやすく言えば、ふと悪い考えが自分の中に起きる。これはいわゆる邪霊≠ゥらの霊的作用である。またふと善い考えが起こり、他人に対して善行を施す。これはいわゆる聖霊≠ノよる導きである。
こうした、どこからともなく発生する心の作用はとかく軽視されがちであるが、われわれは常に霊界から心の無意識界の中に働きかけられていると思えば間違いない。

「日月神示死者の書」中矢伸一


高い波調を持てば、不幸な目には遭わない

憑依という現象がなぜ起こるか。
それは一言で言って、自分の波調と、憑依する霊とが、同一次元にあるためである。
憑依される側も、要するに彼ら悪霊たちと波調が合ってしまっているから作用を受けてしまうわけである。
とくに霊媒体質者の場合は、波調が低いものになれば、低級な霊(つまり悪霊)にコントロールされやすくなる。
ただ「幸福である」状態を以てその人の持つ波調が高いとは言えないのだ。
常に高い波調を持つ人であれば、そのような不幸な目には遭わない。だが、現在ではそのような人は極めて希である。
人間の想念は、時に動物的になり、幽界(地獄界)的になる。低い波調と知らず知らずのうちに交流している時がある。この時に、低き霊たちが感応するのだ。
よって、憑霊とは、霊がとり憑くというよりも、自らそうした霊を呼び込むため、想念の交流が起きている現象だと言うことが出来る。
また、憑依している霊自身も、現世の人間に憑かっていることに気付いていない場合も多い。
私の体験では、Aという青年に、先に亡くなったA君の友人の霊が憑かったケースがそれだった。
私はその霊に対し、あなたが私とこうして話しているのは、今あなたがA君に憑依し、A君の口を通じて喋っているんですよ、と説明したがまったく信じず、「僕がAに憑依などするわけがない」の一点張り、諭すのに苦労したものだった。
こうしたことからも、憑霊現象とは霊の側からの一方的な作用によるものではなく、憑依される側との双方通行により成立するものだと理解できる。
本来の、真の「人」であれば、下級な霊たちが憑依することなど不可能である。
しかし、現在では多くの場合、むしろ動物霊などの低い霊たちに翻弄されてしまっている。
私が体験した憑霊現象でも、ほとんどの場合がそうした人間以下の霊によるものであり、せいぜい良くて先祖霊といったところであった。
「日月神示」では、いわゆる神憑かり′サ象に心魅かれる者に対して、次のように厳しく戒めている。

「神憑かりよくないぞ。やめて下されよ。迷う臣民できるぞ。ほどほどにせよと申してあろうが。皆々心の掃除すれば、それぞれに神憑かるのぢゃ」(風の巻第九帖)

「人間の言う神憑かりとは、幽界の神憑かりぢゃ。ろくなことないのぢゃ。神憑かりでも、神憑かりと判らん神憑かり結構ぢゃなあ、マコトぢゃなあと知らしてあるのに、まだ判らんのか」(白銀の巻第六帖)

「日月神示死者の書」中矢伸一


地獄的な波調の霊とは交流すべきではない

憑霊という、一つの霊現象からわかることは、霊魂の実在であり、霊界の存在である。それ以上のことは、あまり詮索すべきではない。
なぜなら、必要以上に憑霊というものに興味を持ちすぎると、想念波調が天人のそれに合致していない人は、必ず幽界的な波調と通じ、ヘタをすると下級霊の容れ物≠ノなってしまうからである。
ただ、憑霊現象を通じて学べることも、いくつかあると思われる。ここでは次の三点を指摘しておきたい。
一つは、われわれの住む現界は、霊界からの影響を四六時中受けているということ。これが最も重要な点である。
良かれ悪しかれ、われわれ肉体を持つ人間は、霊たちと相互に影響し合い、交流し合っている。
また、霊界とは、波調の世界であるということ。
現界においては、地獄的なものから天国的なものまで、あらゆる波調が飛び交っている。
そして人間は、自分に最も相応しい波調の霊や霊界と主に通じている。これが肉体を脱ぐ(つまり死ぬ)と、いっそう顕著になって現れる。
いま一つは、物の本源は、すべて霊界にあるということだ。ユングの言う「元型」である。
霊界十の法則≠ナ示したように、主体(原因)はあくまで霊界であり、これが現実界に反映してくる。
以上の三点である。
だが憑霊現象から、こと霊界の詳しい様相に関して探ることは、実に難しいものがある。
それは、霊と言っても、自分の住む範囲の霊界しか知らないからであり、加えて鎮魂帰神法などで出てくる霊は、人間以下の霊ばかりである。扱い方を間違えれば、極めて危険なのだ。
神憑かり′サ象による方法では、霊界の実相を正しく把握することは出来ない。とすれば、あとはある程度霊格の高い、信頼のおける霊能者の記した探訪録などから考察するしか術はない。
こうした点で、神示・神典類は貴重なのである。
さて、霊界には、地上にあるものは何でもある。
次の「日月神示」を見て頂きたい。

「霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。そこには霊人の住宅があり、霊人はまた衣類を持つ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、庭園もある、といったふうに、現実世界とほとんど変わりがない。ということは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であるということを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互いに並び建てられており、地上における都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校など、あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらのすべてが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、かつ考えるから、真相がなかなかにつかめない。これらすべての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る」(地震の巻一五帖)

霊人の社会とは、想念そのままの世界である。
住居や衣服なども、すべてその霊人の想念の創造作用によって作り出される。
心豊かな者は、立派な服を身にまとい、壮麗な住宅に住む。美しい庭園があり、色とりどりの草花が咲き乱れる。
反対に、心貧しき者は、みすぼらしい服を着て、あばら屋のようなところに住んでいる。周囲の環境も劣悪で、汚らしく周期芬々立ちこめるといった状態にある。これらはそのまま、その環境に住む霊人の内分の反映である。
住居や衣服だけではない。その霊人の住む団体社会、あるいは山野、河川、湖、海といった自然の景観、雨、風、雷といった自然現象も、霊人の想念にふさわしいものとなって現象化する。
何事も想いのままになる世界というと、いかにも素晴らしい世界のようだが、その想いの状態如何によっては、天国とも地獄ともなり得る。

「日月神示死者の書」中矢伸一


心霊現象とは

精神的心霊現象と物理的心霊現象

近来、心霊の研究が脚光を浴びてきましたが、その真実性や研究の方法は二の次として、その対象となるいわゆる心霊現象とはいかなるものか、をまず概観してみましょう。

心霊現象といっても、誰かが見るとか、聞くとか、体で感ずるとかして体験するのですから、その体験の仕方によって区別するのが普通です。

心霊現象と名づけられる以上、なんらかの形で精神的でないものはないのですが、その体験の仕方が個人的主観に現われ、第三者には体験されない場合に、特にこれを精神的または主観的心霊現象といいます。反対に、体験者自身が主観的に意識するとしないとにかかわりなく、第三者に心霊現象が観測される場合、これを客観的または物理的心霊現象といいます。

たとえば、私の友人の弟君が第二次大戦中ベトナム方面に出征していましたが、夜斥候に出されて途中で道に迷い方角がわからなくなりました。ところがフト気がつくと、森の闇の中で、死んだ父親の顔が見えたそうです。思わずその方向に近づくと、その顔は思いがけない方に移動したのでなんとなくそちらについてゆくと、間もなく友軍のところに出て助かったというのです。その顔は第三者には見えなかったはずです。こんなのは精神的心霊現象の一例です。

最近、私の家内の夢に私の母親が現われて、「あれも元気そうに見えても、もう駄目だから連れてゆく」といったそうです。その「あれ」というのが誰だろうと思っているうちに、ある朝やはり家内にお経の声がして仕方がなかったそうです。「近所に葬式でもあるのでしょうか」といってアチコチのぞいてみましたが、一向それらしい気配もなかったのですが、その日の午後に、新戚から電話がかかって、母親の妹が亡くなったという知らせでした。こんなのも一種の主観的心霊感応現象とでもいうべきでしょうか。

物理的心霊現象の一例といえば、私がまだ子供の頃、父と兄と三人で太田川の上流に夜鮎漁に出かけて、水面の上方をお月様のような火の玉らしいものが飛んで川の面が明るくなったのを見た初体験は、どうやらそれに当たるようです。

また、世界的心霊研究の導火線となった、あのハイヅピーユの化物屋敷のラップ(叩音)や騒音現象は、まぎれもない物理的心霊現象でした。

超心霊学入門  小田秀人 著 より


精神的心霊現象さまざま

同じ精神的心霊現象といっても、偶発的な、たとえば一生に一度だけ幽霊を見たとか、あるいはときたま不思議な体験をしたとかいったような体験もありますし、またある特殊な人には似たような現象がしばしば起こり、その内容がその人自身または周囲の人々の過去や現在・未来と関係があり、どうかするとその人たちの病気や幸・不幸を感知したり、治療したり、相談を受けたりするようになるものです。

すると、周囲の人々も放っておかず、その人についていろいろのことをたずねたり、その人の指導を仰いだりするようにもなるものです。

そして、いわばアマチュアの霊感者に対してプロ霊感者も現われ、次第に職業的になり、中には一種の教祖的立場になる人、否、遂には霊能力を基盤にして押しも押されもせぬ新興宗教の法人として名乗りをあげる人も決して少なくはありません。

そういった推移の評価は別として、こういった.一連の現象が古今東西を通じて起こりつつあることは現実の事実です。そして、そうした心霊能力者を、あるときは霊感者・霊能者、霊媒といい、またどうかすると聖者とか生き神様だとか呼ばれるようにもなるのです。もちろん、そういう人々を通して起こる心霊現象は、単なる精神的現象ばかりではなく、物理的現象も起こる場合が少なくありません。

そこで、その中から、まずいおゆる精神的心霊現象だけをぬき出して調べてみましょう。


霊視現象とは

つまり、肉眼では見えないものが心の眼で見えることです。同じ肉眼で見えないといっても遮蔽物があるために見えないもの、つまり扉の向うにあったり、箱の中、包み紙の中にあるから見えないもの、闇の中で光線がないから見えないもの、遠方にあるから見えないもの等々いろいろあります。これらをそれぞれ透視とか千里眼とかいいます。

また物質でない、この世のものでない、三次元的世界のものでないから見えないものが、霊眼・心眼によって見えるという場合、これも霊視現象です。たとえば、亡くなった父母友人の姿、神仏観音、天使、聖人、君子の霊姿……果ては因縁霊、天狗、化物、幽霊、妖精等々数限りがありません。

しかし、霊視、霊眼で見えたから、この世ではなくとも必ずどこかに実在する、というものでもなく、夢幻と同じように、見えても荒唐無稽なものもあります。また、夢幻とても中には正夢のごとく、必ずしも荒唐無稽とも限らず、少なくとも象徴的に真実である場合もありますので、一概に真偽をいい切るわけにもゆかないのです。


霊聴現象とは

これも霊視現象と似たり寄ったりで、現実のこの耳で聞こえないものが霊耳によって聞こえる現象ですが、これにも空耳(そらみみ)ということもあり、現象は現象ですが、真実との因果関様は必ずしも立証できない場合が多いのです。

しかし、かくいう私自身が中学卒業直前に進学のことで悩んでいたとき、真夏の真っ昼間にどこからともなく、お前は医者になるのではない、政治家になるのでもない、これから釈迦やキリストや孔子やソクラテスのやったことを研究して、その人たちの成し遂げなかったことを成し遂げねばならぬ、という声が聞こえて、心霊のシの字も知らなかった私に「そうだ!」と思わしめ、とうとう一生涯をこの道に迷い込ましめたのも、正邪・善悪は別問題として、とにかく一種の霊聴現象には違いなかったと思います。

しかし、霊聴は霊聴として、これにしたがうかしたがわないかはまた別の基準で判断すべきはもちろんです。それは、ちょうど、先輩・友人の忠告を聞くのと同じで、大いに反省し参考にすることも必要ですが、最後の判断を下すものはやはり自分自身なのです。


感応現象とは

心霊現象の多くは大なり小なり霊に感応して起こるものですが、特にせまい意味での感応というのは、生きている人や死者に感応して、その健康状態や思想感情を直接に感応することをいいます。

あるときは、人の病気をわがことのように診断したり、人の秘密や悩みを恐ろしいほど正確にいい当てたりもします。むろん、昨日は一〇〇%当たっても、今日は三〇%のこともあり、また全く当てはずれのこともあります。

たとえば、宮崎白蓮さんの知り合いで命尾起作さんという実業家で霊感者がありました。謝礼も取らぬかわりにあまり人を紹介してくれるなということでした。家内があるとき心霊研究家の二宮武夫さんの奥さんをお連れしたとき、初対面のこの奥さんに「あなたには双児がありますね」といわれて、なんにも知らぬ家内をびっくりさせたことがありました。

また、真珠や仏像の引き寄せで有名な影山妙生さんも、ときどき奇想天外な霊感で人を驚かせました。ある実業家が事業の不振を訴えてきたところ、妙生さんはいきなり「あなたは事業より両に女の問題を片づけなさい」とズバリいってのけました。

その人が「そんな問題は覚、兄がありません」とつっぱねますと、「そんなら何町何番地の何の何子さんをあなたは知りませんか」と図星を指されて、スゴスゴ引き退りましたが、その方もさすがに恐れをなしてその女の問題をキレイに清算したそうです。するとどうでしょう。事業の方はお伺いを立てるまでもなく、順調に軌道に乗ったという話でした。


憑霊現象とは

霊に単に感応して、自分も同じように感じて相手の状態を知るという冷静な感応現象もありますが、またある霊が一時的に乗り移って、自分ではないその霊の活動を代行させられることもあります。いわゆる愚きものがした状態です。そんなときは第三者からみると、全く別人のごとく見えるものです。

乗り移って自分を占領した霊が高い霊であれば一時的に神様のごとくなり、悪人の霊であれば少なくとも一時的に悪人となり、もしまた人間以下の動物霊であれば、一時的に動物の真似をさせられるのです。

しかし、また専門的霊能者に乗り移って出てきた霊が、亡くなった父母や祖先である場合もないとは限りません。

いずれにしても、出てきた霊の本体を弁別する経験者が必要となります。古来わが国では、この権威ある経験老のことを審神者(さにわ)といって尊重されたものです。

いうまでもなく、この権威ある審神者の必要なのは単に憑霊現象ばかりでなく、すべての心霊現象についていえることです。


霊言現象とは

この霊言現象は、ある意味で一番ありふれた心霊現象ということができます。古来神がかりとか、口寄せとか、巫女(みこ)とかいおれたもので、感応した霊の言葉を自分の口を使って発言するものです。知らない第三者が聞くと、霊媒が勝手な芝居を演じ、勝手なセリフをしゃべっているとしか見えません。

しかし、今でも生きているはずの中西リカさんというお婆さんは、浅野和三郎さん時代から有名な霊媒でした。いつも完全な入神状態で話し、その内容を本人は少しも知らない様子でした。

あるとき、鉄砲洲神社で、ある奥さんが中西さんにお伺いを立てました。ところが思いがけなく、中西さんを通して女の子の霊が「お母さん」といって奥さんに呼びかけました。ご婦人は

「私は女の子を産んだことはありません」とキッパリいい放ちました。

ところが、中西さんの口からは相変わらず「私はあなたの娘です」といってききません。審神者(さにわ)は困って、その霊に向かって「あなたは今どんな状態でいますか」とききました。

すると、その霊は「私は今ビン詰めになって見せ物にされています」と答えました。これを聞いた奥さんは引っくり返らんばかりに驚いて、実は堕胎したことがあると白状しました。そして

「それではどうしてあげればよろしいか」とたずねますと、娘の霊は「私に名前をつけて墓に葬って下さい」といいました。

そこで、ご婦人がかつて堕胎してもらった医者のところへいってみますと、霊のいった通り、赤ちゃんの小さな遺体はそのままアルコールづけにしてガラス戸の中に並べてあったそうです。それをもらいうけて、そのご婦人は名前をつけ、ていねいに葬ってやったということです。


自動書記(霊動記、お筆先)とは

霊が霊媒の口を利用して、言葉によってその意志を発表するのが霊言現象であるように、霊が霊媒の手を利用して、文字によってその意志を発表するのを自動書記といいます。これは霊媒の立場からみれば、自己の意志によってではなく、自動的に動くから名づけたもので、英語の翻訳です。

わが国では幕末.明治初年の天理教・大本教などの教祖たちによるお筆先と呼ばれたものです。この教養もなく文字も知らないお婆さんたちは、ただ素直に神霊に感応しただけで数十万、数百万の人々を動かすお筆先を書きました。
また、岡本天明という画描きさんは大本系の人でしたが、終戦の前の年からある神霊に感応して、ほとんど数字ばかりのお筆先を書きました。その第一発には、

二二八八〇十二ほん八○

と出ました。富士は晴れたり日本晴れ、と読まれます。こんなのがなんと数十冊出たのです。そして判じものを読むように判読してみますと、「皆は間もなく日本が勝つように思っているが、そんなチョロコイものではないぞ。東京は火の海になる。全国の町々も同様だぞ。大将が臭い飯食べないように気をつけろ。しかし、日本は亡びるのではない。これから本当の岩戸が開けるのだぞ。めでたしめでたし」といったような意味で、一段落したところで原爆・終戦ということになりました。こんなのも一種の自動書記です。

超心霊学入門  小田秀人 著 より


物理的心霊現象の種類

物理的心霊現象はほんとうか

物理的心霊現象と名づけられるようなものも、古来ずい分あったに違いありません。しかし、その正確な記録が少ないので、幽霊話や奇跡的伝説と、歴史的または体験的事実との区別がつきかねるのはやむをえません。

たとえば、キリストが礫(はりつけ)になって間もなく信者の前に姿を現わしたとか、生前湖水の上を無雑作に歩いて渡ったとかいう話は、にわかにも信じられませんが、今では絶対に否定することもできないようです。空飛ぶ円盤が星から星を自由に往復するとか、円盤に同乗させてもらったとかというふうな記録と、信頼度にどこか似たところがあるようです。

中国の西遊記という物語は、近頃少年向きの怪獣や変身談議と同様、真面目に信ずる人もなさそうですが、平田篤胤の書いた寅吉物語の天狗小僧談などは、心霊手術のトニーの告白する仙郷のマスターについての体験談などと同様、真っ向から否定する方が無理のような気もします。

しかし、私個人としては、その可能性はいろいろの他の記録や直接の体験から必ずしも否定しませんが、千万人といえどもわれ往かん、これだけは命をかけてもその真実性を主張する、というほどの自信はありません。

これに反して、近代の心霊科学が取り組んできたいわゆる物理的心霊現象については、たとえ百や千に一つの間違いがあったことが実証されたとしても、前述のような、千万人といえどもわれ往かん、たとえ命をかけても、これだけは絶対にその真実性を主張する、自信と勇気があるのです。

なぜでしょう。科学に関しては私はズブの素人です。私の理論の組み立ても、実験の方法も、リポートの形式も、学会や教授会でパスするほどのものではありません。しかし、それでも私は一〇〇%納得しているのです。それはたとえば、私がたとえ科学的な立証方法はとっていなくても、私の父・私の母を真実の私の父・私の母と信じて疑わないのと同程度にです。

私が行なった数々の物理現象実験

では、私はどのようにして一〇〇%納得したのでしょうか。私は、最初浅野和三郎氏の主宰する東京心霊科学協会の一室で、霊媒亀井三郎氏の交霊会に列席して、はじめて物理的心霊現象を実見しました。その後、私は同志と共に菊花会を組織し、たびたび会員を集めて交霊会を開催しました。

さらにその後、一時菊花会を休会し、その間私の自宅で、極めて小人数で、またたびたび実験しました。その間、ときどき私の家族だけでも実験を試みました。

私の住宅は、その頃杉並区西高井戸という、家数もまばらな淋しい町にあり、約二〇〇坪ばかりの畠と芝生の中に新築された三〇坪余りの小さな建物でした。亀井氏の住宅は渋谷区にあり、電車で約一時間、更に歩いて約十五分で私の家にきてくれました。

私の家族は母と家内と私の三人。それにお手伝いの女の子が一人。彼女はいつも実験には関係せず、台所や風呂場や別室で雑務をやっていました。

ある日、われわれは食後、亀井氏に入浴してもらい、衣服は下着にいたるまで残らず取りかえ、彼のものは一枚残らず別に保管しました。

私はまず硝子戸を閉め、雨戸を閉め、外界とは完全に交通遮断して、設備一切−暗室用黒幕、ビロードのキャビネット(倉田百三氏寄贈のもの)机、椅子等もすべて私が整え、亀井氏にはなにも手に触れさせないようにしました。実験用の小道具もすべて私が新規に買い求めたものばかり。ただ一つ空中談話用のメガフォンだけは、私の用意した模造紙と鋏で亀井氏がいつものように手軽に作りました。

こうして亀井霊媒はなに一つ持参せず、なに一つ自分のものは身につけず、設備にも一切手をふれず、いともご機嫌よくキャビネットの中に入って目をつぶるだけでした。

私はテーブルの上に夜光液をつけた小道具(人形、おもちゃ、ガラガラ、ハーモニカ・暗赤色の懐中電灯、それに筆記用具など)を並べ、さて精神統一用のレコード「トロイメライ」をかけ、明かりを消して、いよいよ実験会に入りました。

列席者は母親と家内ですからなんの遠慮も無用で、したい放題のことを思う存分にやってみるつもりでした。(外来の列席者のある場合には、司会者が動き回ると、司会者自身が怪しまれます)

しーんとした闇の中で静かなレコードがしばらくつづきます。すると五、六分経ったと思うころ、どこからともなく空中にラップ(叩音)が聞こえてきました。現象がはじまった証拠です。

そしてメガフォンが空中に浮揚しますと、その中から「ハロー、コンバンハ」とブロークンのモゴールさんの声が聞こえました。そのうちにテーブルの上のものが動き出し、空中に浮揚し、人形も踊り出しました。

私はそっと立ち上がり、キャビネットの中に入って亀井君の右手を握ってみました。家内にも闇の中ながら左手を握らせました。おもちゃは相変わらず、幾分小規模ながら動き回っています。

私は亀井君の脈をとってみました。低調ながら正常に脈は打っています。そのうちにメガフォンから空中談話がはじまりました。するとどうでしょう。脈が止まったではありませんか。談話が止むとまた脈を打つのです。

脈と空中談話とどんな関係があるのか、いつでもそうなのか、他の霊媒でもそうなのか……こんなことはたびたびできないので、そこまではまだ確かめていませんが、そのときは確かにそうだったのです。

次に、私は亀井君の後ろに回って、両腕もろとも彼の体に抱きついてみました。そして彼の肩のところへ私の首を載せて机の上を眺めました。夜光液のついた人形やおもちゃの動きは急に小さくなりましたが、確かに動きをつづけているのです。亀井君の体は幾分ビリビリけいれんでもしているように感じました。

しかし、あまり長く無理をしても結果が怖いので、その晩はその辺でやめましたが、確かにめずらしい経験をしました。

その晩は、まだそのほかにもなにか現象があったと思いますが、いつもはしてはならぬことをしたという、その記憶だけが今もまざまざと印象に残っています。

その後われわれの仲間から萩原真さんという素晴らしい能力者が現われ、更に引きつづいて、内山若枝さんという主観的霊媒は私ののりとに応じて物理現象の能力を発揮するようになりました。また、竹内満朋霊媒はわれわれの数年の協力で遂に物理現象能力を発現して、現在ではわが国ただ一人の物理霊媒として実力を発揮しています。

エクトプラズム(霊質)とは

物理的心霊現象というものが単なる神話や伝説や怪談の世界ばかりでなく、確かにこの世に存在し、科学的にも研究できるとして、さてそれではそれはどんなものでしょうか。

物理的心霊現象(以下略して物理現象といいます)とは、幽霊が出没するとか、化物屋敷のように物品が動いたり飛んだりする現象のことをいうのですが、目に見えぬ霊が目に見える物質を動かすにはそれを媒介するものがあることが、近代の研究によってわかってきました。その媒介物をエクトプラズムといいます。

 

流出するエクトプラズムの中に物質化したコナン・ドイルの顔(亀井霊媒)
左下はコナン・ドイル卿

あるとき、霊の力で重い物を持ち上げている場面を写真に撮ったところ、これを支えている白い物質のあることがわかったのです。この物質をリシエ博士というフランスのノーベル賞受賞の生理学者がエクトプラズムと命名したのがはじまりで、現在では一般にこの名称が用いられるようになったものです。プラズムとは物質ということで、エクトとは外に出るということ、つまり体外に出る物質ということです。

その物質とはどんな物質かと、ドイツのシュレンク・ノッチング博士という医学者が顕微鏡写真でとらえたところ、唾液のような普通の細胞質だということがわかりました。つまり、人間の中の細胞質が霊的エネルギーによって体外に出て物を動かしたり、持ち上げたり、また人の姿や顔の形を作ったりするらしいのです。

つまり、このエクトプラズム(霊質)は、心的エネルギーによって体外に抽出され、霊の意志のまにまに千変万化に形を変え、行動し、用がすめば再び体内に帰ってゆくのです。

ところで、誰でも霊の力さえ作用すればエクトプラズムが自由に出入りするというものではなく、特殊な霊的体質をもち、特殊な霊の助力ある人があってはじめて可能となるのです。そんな特殊な条件をそなえた人を霊媒、詳しくは物理現象霊媒、略して物理霊媒ともいいます。

この特殊な能力を備えた物理霊媒が深い精神統一によって入神状態になったとき、彼または彼女を支配する支配霊がそのエクトプラズムを瞬間的に自由自在に操作するらしいのです。

 

流出するエクトプラズム(亀井霊媒)

エクトプラズムも一種の物質ですから、都合によっては目にも見え、手にもふれ、目方も計ることができます。ただし、光線に弱いので、明るいところでは現象が起こりにくいわけです。特殊の場合を除いて、赤外線もしくは赤外線に近い暗い赤色光線で見ることができるだけです。

写真を撮るにしても、普通の白色のフラッシュを焚けば一応は撮れますが、現象はそれでストップです。赤外線フラッシュでならば連続撮影したケースもあります。

いずれにしても突然明かりをつけたり、フラッシュを焚くことは、霊媒に致命的なショックを与えかねないので、厳重な上にも厳重な注意が必要です。

それにしてもエクトプラズムが抽出されたときは、それに応じて霊媒の目方が一時的に減り、体内に帰れば霊媒の目方も復元するのです。はげしいときには霊媒の目方が半減することもあるといわれます。なんとも不思議な現象ではありますが、アメーバのような単細胞動物が自由に義手義足を出したり引っこめたりすることを考えれば、生命現象そのものの中にエクトプラズム的現象があるかとも考えられるのです。

私の考えるところでは、原始生物の顕微鏡的観察によって、生命の秘密の一端が解きほぐされるキッカケがつかめないとも限らぬと思われます。

ラップ(叩音)現象とは

近代心霊研究の発端となった一八四八年三月のハイズビュの化物屋敷事件からはじまりました。

それはフォックスさんという、一家四人暮しの鍛治屋さんでした。年の暮に引っ越してきたばかりでしたが、はじめから家のアチコチで指を弾くようなラップが聞こえ、夜ともなるといろいろなはげしい騒音がして眠れぬほどになりました。

そのうちに二人の娘さんがフトそのラップ音に向かって話しかけてみますと、確かに手応えのある通信ができることがわかりました。そして近所の人も集まって、音の数でアルファベットの符合を決めて、一晩中かかって事の真相を確かめることに成功しました。

そして、その音の主がチャールス・ロスナという行商人で、五年前にこの家の前借家人に殺され、遺体も持ち物も地下室に埋められたことがわかりました。

その後、遺骨も持ち物も掘り出されて大騒ぎになり、その騒ぎが全米はおろかヨーロッパにまで広がり、しかもそれが次々に連鎖反応を起こして近代の心霊ブームにまで及んだのですから、一ラップの響きがニュートンの前に落ちたりんごほど0影響力を持ったといっても過言ではありません。

物品の浮揚、移動現象とは

偶然に出くわす化物屋敷の現象も、条件の揃った霊能者が現われると、何月何日の何時から物理現象を起こすと予告して、いわゆる交霊会を開き、研究を進めることもできるようになったのです。

たとえば、誰もさわらないのに品物が持ち上がり、空中を移動したり、ときには尺八やオルゴールやハーモニカのような楽器も、あるときはギコチなく、あるときはいとも巧みに演奏されるのです。

よく調べてみますと、すべてが霊媒の体から出入りするエクトプラズムの媒介によるのです。ただし、そのエクトプラズムには形ばかりでなく、その濃度にも固体、液体、気体ほどの差別があって、肉眼にも写真にもとらえられぬこともあるようです。

物質化現象とは

そればかりではなく、机の上に置いてある人形が一体も二体も立ち上がり、音楽に合わせて身振り手振り鮮やかに踊り出し、空中遊泳し、ときには備えつけの人形や楽器ばかりでなく、可愛いいフェアリーが机の上の草花や盆栽から抜け出して動き出したりします。またときには、私の手のひらでダンスしてみせてくれたこともありました。


ミュラー博士と、亡くなった愛嬢ヘレンさんの下半身の消えかかった物質化霊(写真左)
亀井霊媒による文字の物質化現象(写真右)


そうかと思うと、亡くなったばかりの故人が生前の肉声、姿のままで、あるいは一部分、ときにはまた全身を現わして、遺族と涙の対面をするようなこともあります。また、列席者の心境に応じては、ときに観音様の姿や狐の姿をしたいなり様が出現して、みんなを驚かしたことも、つい最近あったばかりです。

これらがすべてエクトプラズムの作用であることはもちろんで、目に見えぬ霊が目に見える物質となって現われるのですから、これを物質化現象といいます。

直接談話現象とは

霊媒の口を利用して霊が言葉を発するのを霊言現象というのですが、霊媒の口を利用せず(したがって、ときには現象中霊媒の口に水を含ませたり、また絆創膏で口をふさいではじめたりします)空中のメガフォンから、また稀には物質化した霊自身の口から発声することもあります。これを直接談話といいます。

その際、瞬間的に発声器官を物質化させる場合と(写真参照)メガフォンの細い方の口を霊媒の発声器官の近くにつないで空気を震動させる場合とあるようです。

したがって、同じ直接談話でも、故人生前の声そっくりの場合と、霊媒の声に似ている場合とがありますが、いずれにしても霊媒の口は使用していません。

しかも直接談話の時間は、長いときは三十分も一時間もつづくことがあり、その間、同じ一人の霊が語る場合と、何人かが入れかわり立ちかわり語る場合、また列席者と押問答することもあり、近頃では全部テープレコーダーに録音して残すことにしています。

また、言葉の内容も、ときには報告あり、説教あり、またときにはユウモアたっぷりに冗談も飛ばします。

*直接書記現象とさまざまな義手の様相

直接談話と同じように、霊媒の手を使用せず、霊自身が霊媒のエクトプラズムを利用して筆を持って文字や画を書くことを直接書記または直接作画現象をいいます。この際一時的にできた義手は、指も分れていず、むろん指紋もありません。

しかし、生前の手を示したいときには、五本の指を生じ、また指紋も正確に現われることも稀にはあります。また、内部に骨のないたこの足のような場合と、はっきり骨としての手応えのある場合と、ときに応じてさまざまのようです。

物品引寄せ現象とは

物品、たとえば、真珠、置物、鉱石、仏像、装飾品、その他草花、生きた魚等が突然交霊会場に運び込まれ、また運び去られる等のことがあり、これらを総括して引寄せ現象といっています。しかし、個々の実例は多種多様です。たとえば、

(1) これは外国の例ですが、交霊会後、列席者が一人いなくなって大騒ぎしていますと、数キロ離れた納屋の中で寝ているところが見つかったそうです。

(2) 幕末から明治初年にかけて五十年間独身で通した長南年恵女史は、空瓶の中に同時に数人の病人のためにそれぞれの薬液が授かることで有名でした。

あるとき裁判沙汰になったとき、法廷の一室で厳重な監視の中で見事やってのけて即日無罪になったことがありました。なお、一時、といっても十四年間も飲まず食わず排泄もせず、しかも丸々と頑健であったといわれ、遂に一生、月のものを知らなかったといわれます。

(3) 掘悉多羅という方は若いとき、京都の清水寺に一週間もお籠りして、満願の日の帰途、ある気高い老人から水晶の珠をいただきました。お礼をいって頭を上げるともうその老人はいませんでした。今でも悉多羅さんは、その珠をご神体としてさまざまの霊示を受けていられるそうです。(写真)



(4) 普妙寿会の影山妙生女史は、神霊から真珠や真新しい仏像、その他を授かったことで有名です。(写真)



(5) 萩原霊媒も竹内霊媒も、交霊会で真珠の球を授かったことがありますが、その真珠は引寄せというよりも空中で作り出されたもののようです。製作の途中で一度できかかったところを列席者に見せてくれたそうで、できあがった瞬間にはとても熱くて、直接にはさわれなかったといわれます。竹内氏のときには、私も後藤以紀博士や沼倉博士と同席していました。(写真)

 
空中で制作された宝珠(左は萩原真霊媒。右は竹内満萌霊媒)

超心霊学入門  小田秀人 著 より


知られざる物理霊媒 竹内満朋

清貧の生涯を送った
最後の物理霊能者


心霊に興味のある人ならば、たぶん、物理霊能者・竹内満朋の名前を知っていることと思う。

昭和の時代、亀井三郎萩原真本吉嶺山津田江山など高名な物理霊能者が輩出され、わが国の心霊研究発展に格段の貢献をしたが、竹内はその最後の物理霊能者といわれている。

竹内満朋、本名栄一、明治44年新潟県の高田に生まれた。青雲の志を抱いて上京し、森永製菓に勤務しながら、中央大学で法律を学んで弁理士の資格を取得した。

わが国最後の物理霊媒といわれる竹内満朋の20代のころの写真

在学中、機会あって心霊研究を志して以降、霊能力を得て研鑛を積んだ。戦後、森永製菓を退職後、弁理士をたずきの業としながら、物理霊能者として活躍した。

「物理霊能者」とは、「エクトプラズム」と呼ばれる未知の物質を、自身の体内から放出する能力を有し、神霊がその能力を使って降霊会でさまざまな物理現象を起こす、そのような霊能力を持つ人である。

まずは師の降霊会の様子をこ紹介しよう。

8畳ほどの和室の一角に、黒い力ーテンで仕切ったキャビネットが設えられている。その前に八足が置かれ、上に白い厚紙で作ったメガホンと夜光塗料を塗布した人形、八ーモニカがセットされている。そのほかにはレコードプレーヤーとテレコがあるだけである。

降霊会のリーダー役の審神者と十数人の参加者が全員集合すると、師がキャビネットに入って椅子に腰かけ、サイダーを口に含む。自身で言葉を喋れないようにするためである。そして部屋の電気を消す。漆黒の闇の中で人形の夜光塗料だけが光り、白色のメガホンの所在が微かに確認される。準備完了である。

審神者が祝詞を奏上し、続いてトロイメライのレコードをかけると、コツコツとラップが鴫り、メガホンがひとりでに宙に浮く。ハーモニ力と人形がそのあとを追って浮遊する。そして八ーモニカが演奏し、それに合わせて人形がダンスを始める。降霊会の始まりである。

まずはじめに、浮揚したメガホンから師の主支配霊であり、この降霊会のいわばプロデューサーであるローム太霊(BC8世紀ごろヒマラヤで修行した高級霊)が、独特な口調の日本語で挨拶される。続いて参加者ひとりひとりの守護霊からの各自への霊言が続く。

竹内満朋は、このほかに、自らの主護霊に伴われて幽霊界を訪れた記録を−死後の世界の体験記−『魂の幽霊界行脚』(昭和46年)をはじめ数冊の著書にまとめ、さらに、ローム太霊が降霊会で明かされた神霊界の貴重な秘事の一部を『ローム太霊講話集』(昭和45年)として発表したことでも知られている(いずれも、霞ヶ関書一房から出版)。

そして、度重なるマスコミの誘いをことことく退け、金取り主義に走らず、その能力を新興宗教として働かせることもせずに、ひたすら日本酒を愛して平成3年、清貧の生涯を終えた。なお、晩年、永年の弁理士としての活動に対して、藍綬褒章を授与されている。

このような師を、生前、私は「叔父さん」または親しみを込めて「大先生」と呼んでいた。というのは、いささか浪花節めくが、師と私の亡父、小泉平一とは、杯を交わした義兄弟の仲だったからなのである。そして、その義兄弟の縁を結ばせて、竹内満朋を心霊の道に誘ったのは、一匹の犬の霊、亡くなって問もない小泉家の飼い犬「ポチ」であった。

義兄となった私の父、小泉平一(幼名一仁)はいわゆる知る人ぞ知る霊能者で、精神霊媒として生涯門下生の指導に終始した。広く一般に知れる活動をしなかったため、世間的には無名に終わったが、浅野和三郎の流れを汲む心霊研究団体「紫光会」が昭和29年に出版した『心霊常識』には、精神霊能者
のひとりとしてその名が挙げられている。

その父を心霊の道に誘ったのは、なんと寅さんで有名な柴又帝釈天の脊族の白猿の霊であった。それがこのポチを巡って、私の友人である漫画家、つのだじろう氏との後日談へとつながっていく不思議な縁のはじまりだったのだ。

 
鼻の穴からエクトプラズムを出している亀井三郎。
エクトプラズムはおもに鼻や耳など、霊媒の顔の穴から流出する。

心霊の道に導いた
柴又帝釈天の白猿


私の父、小泉平一は、明治38年に当時の京橋区木挽町1丁目、現在の中央区銀座1丁目で、荷造り材料商「小泉商会」を経営する益太郎の長男として誕生した。晩年に生まれた跡取りだったので、生母が早くに亡くなる不幸があったが、後添えの義母、まさとの折り合いもよく、周囲からも大事にされて成人して益太郎の片腕として家業の切り盛りをしていた。しかし、若い頃の父は信仰心に乏しく、とにかく気楽な独身時代を謳歌したようである。

そんな昭和の初年代のある日、父は義母の代参で、柴又の帝釈天に参詣することになった。義母は寺参りを大事にしていたことと、察するに、気ままにその日その日を送っている義理の息子に少しでも信仰心がつけば、との計らいだつたらしい。

一方、父のほうはといえば、寺参りの帰りにどこぞの遊郭にでもと思い、喜んで紹の着物を着て参詣に出かけ、一応は拝まなければと思って、神妙に目を瞑って本尊に手を合わせたとのことである。以下は、父が私に語った回想である。

「そうすると、だれかが着物の裾を引くんだよ。だれだと思って目を開けて振り向いたがだれも見当たらない。気のせいだったかと、合掌に一戻るとまた裾が引かれ、振り向いてもだれもいないー。そんなことを何回も何回も繰り返しているうちに、ふと目を瞑ったまま振り返ったら、なんと大きな白い猿が私の裾を引いていたのだ。驚いて声を上げそうになると、その白猿が人間の言葉で『一仁、俺のいうとおりのことを声を出して唱えろ』っていうんだよ。そして、何か聞いたことがあるお経のようなのをひと節唱えるので、いわれるままに後追いをして唱えたんだ。そして終わったら、本尊のあたりからものすごい光が飛んできたので、またまた肝がつぶれる思いだった。

そうすると、その白猿が『お前には大切な使命がある。もうこの寺に来る必要はないが、このことを肝に銘じておけ』といって、気がつくと姿が消えてしまっていた。これが白日夢というやつかと思ったがどうも気になるので、参道の仏具屋に寄って聞いたら、『それは若旦那、般若心経ですよ』といわれて、『へー』と改めて驚き直したんだ……」

その後、この白猿は二度と父の前に姿を見せることはなかった。

「その当時、小泉商会の税理士にM氏という人がいて、当時では大変珍しい心霊好き。それまではほとんど興味がなかったその人の話が、とたんにおもしろくなってきたんだ。そこで、心霊の本を読んだり、見よう見まねで修行をしたりしたら、少しずつ、ほかの人には見えないものが見えてきたり、聞こえない声が聞こえてきたりするようになってきて……」

要するに、霊能力が身についてきたのだそうである。そして、M氏に勧められて東京心霊協会の浅野和三郎に師事して、本格的な研鎖を始めた。父の残した古い日記には「昭和7年に、同志4人で東京心霊協会麹町支部を設立した」との記述がある。


昭和11年に撮影された小泉家の家族写真。
後列左端が竹内満朋

父と竹内満朋を
引き合わせたポチ


父が竹内満朋と邂逅した年次は聞き漏らしたが、私の生まれた昭和11年より少し前と思われる。小泉商会は現在のテアトル銀座のすぐ裏手にあり、木造3階建ての店舗併用住宅であった。その店舗の土間にポチが飼われていた。大変利口な犬で、特に父になついていたらしい。手元に残っている写真を見ると、2、3歳の子供くらいの大きさで、耳が長く、当時のことなので当然雑種と思われる。

ある日、突然そのポチが死んでしまった。息を引き取る間際に、義母のまさがポチに向かって

「ポチや、若旦那は体が弱いから、お前死ぬんなら病気を全部持っていっておあげ」

といって頭をなでたら、ポチの目からはらはらと涙がこぼれたとのことである。ここから再び、父の回想を続ける。

「ポチが死んでからしばらくたつと、ときどき、私がひとりのときにポチが出てくるんだ。もちろん、ポチの姿が見えるのは私だけ。そして、そのつど、人間の言葉でいろいろと教えてくれるんだ。たとえば、『若日一那、明日だれだれがこういう用件で来るよ。その腹のうちはこうこうだから、こんなことに注意しなさい』なんていうんだよ。そして、それが実によく当たった、本当に不思議くらいだった。はじめのうちは商売に大変役に立ったが、そのうち『小泉商会の若旦那は怖い、腹の中を全部見透かされてしまう』なんていう評判が立ちはじめた。ポチの好意が、かえって仇にもなってきたんだよ。そんなある日、ポチが出てきて『若旦那、ついていらっしゃい』というんだ。そこであとをついていくと、銀座通りから市電に乗ったんだよ。私もあわてて飛び乗って、そして降りたところが田町だった。そしたらポチのやつ、駅前の大きなビルに入って、階段をスタスタと上っていく。私は八ア八アいいながら追っかけていった。そしたら、ある階のドアのところでポチの姿がスーッと消えてしまったんだ」

そして、そのとき以来、二度とポチは父の前に現れることがなかったとのことである。

「あわててそのドアを開けたらすぐカウンターがあり、ひげを生やした若い男が座っていた。購買課長と書いた名札が立っていた。気を鎮めて周囲を見渡すと、そこは森永製菓の購買部門の部屋だったんだ。その課長が栄ちゃん(父の竹内満朋への愛称)だったんだよ。そのことが縁で、ときどき商売の売り込みで顔を出し仲よくなった。当時、栄ちゃんは独身で、中央大学に通って法律を勉強していた。何かの拍子で心霊の話をしたら、栄ちゃんは催眠術を少々やったことがあり、えらく興味を持って、それから行くたんびに心霊の話を聞かせてくれと離さないんだ。とても商談にはならない。そこで、よかったら家に下宿しないかといったら大喜び。それから、栄ちゃんが所帯を持つまで家にいて、一緒に浅野先生のところで心霊の勉強や修行をして、私には兄弟がいないことから義兄弟となった。確か杯を交わしたんだよ」

そのうち、竹内満朋に霊媒としての素質が育ってきたことから、浅野和三郎にかかわりが深い「菊花会」の小田秀人のところに連れていき、そこで、物理霊能者のトレーニングを開始したそうである。そのことを、小田秀人は著書『四次元の不思議』(昭和46年潮文社)の中の「霊媒を作った話」の章で
こう記している。

「その頃東京日本橋の界隈に心霊研究のグループがあり.その仲間のひとりとして竹内栄一君という若いサラリーマンを紹介して来た。物理現象ができそうだからひとつ指導してほしい、という触れ込みである。当方としても『心得たり』と大歓迎で、萩原氏とも相談の上、機会あることに降霊会に列席させ、また単独に特殊訓練を催したり、また私宅で毎週一回の定期的な練習会を開いたりもした。やがて竹内氏も、その後吊るした夜光液の物体が空中にLO∪Mという文字を書いたのがきっかけで、物理現象はすべてすらすらと始まったのであった…」

竹内満朋は、生涯これらのことを徳として忘れず、父の生前中は毎年必ず1月2日に年始に訪れ、父もまたともに御神酒を酌み交わすことを、無上の楽しみとしていた。

また、小田秀人菊花会の活動には終生協力を惜しまず、晩年になるとほかでは滅多にやらなくなった物理実験交霊会を、菊花会のためだけには行っていたようである。

 
小泉家で飼われ、死後、霊となって平一と竹内満朋を引き合わせたポチ

『うしろの百太郎』の
モデルゼロ号のモデルに


そして、このエピソードには、思いもかけぬ後日談がある。

確か昭和43、44年ころと記憶しているが、私は当時、名古屋にいた。私の高校からの親友である漫画家のつのだじろう氏が、旅先の途中に私を訪ねてきた。たまたまの話から同君が心霊に興昧があると聞いて、実は私は……といって初めて心霊の話をしたことがある。というのは、当時はこのような話題は、職場では当然のことながら、気心の知れた友人の間でもタブーに近かったからである。

そのとき、彼が竹内満朋に大変興味を持ち、ぜひ会いたいと懇望したので、東京出張の合間を縫って、彼を三鷹にある竹内師の家に連れていった。

そこで、彼は師から自分の守護霊と主支配霊の名前を教わった。そして、その帰り道の電車の中で、私が父と師との結びつきとなったポチのことを話した記憶がある。

このときのことを、彼の初めての心霊関係の著書『ついに霊魂をとらえた−ボルターガイストは存在する−』(1982年サンデー社)の「守護霊出現……」の中でこのように記している。

「私の『霊体験』の最初は、自分のこの目で私の守護霊を見たことである。きっかけは、人間の守護霊を見、その名を教えることを自分の使命のひとつとしている、ある霊能者に私の守護霊を見ていただいたところ、滋賀県出身の平系の武士である朝村真工門恒則であり、支配霊は、善信坊霊人という自然霊であることを教えられたことである」

つのだじろうは、そのことがなかなか信じられなかったが、とにかくと思って、そのとき教えられた守護霊との交信の方法を忠実に行ったところ、3日目に厳しい武士の顔が浮かんで見え、その武士が自分の守護霊であることを確信したといっている。

その霊能者が竹内満朋であり、つのだじろうにとってこの体験は極めて強烈なものであったようだ。その後、彼との交流がままならないうちに、昭和48年に同君は心霊漫画の名作『うしろの百太郎』を発表し、主人公}太郎のナビゲーター役として、霊犬ゼロ号を登場させた。

いわゆる心霊漫画の端緒となったこの作品は、当時の多くの青少年読者に愛読されて、心霊問題に対する関心が急速に高まるきっかけとなった。

つのだじろうの近著『漂う霊があなたのまわりにいる!!』(平成3年講談社)の中で、「世論調査によると、『うしろの百太郎』の連載をはじめた昭和48年ころは、『霊魂の存在を信じる』あるいは『あるかもしれない』と答えた人は全体の3分のーしかいなかったが、それから10年後の調査では約7割の人が『不思議なものは存在する』と答えている。今はもっと信じる人の割合が増えていると思われる……」という趣旨のことを書いている。

今年も、夏場のテレビはオカルト番組全盛で、いずれも、結構な視聴率を獲得したようである。そして、それらの遠因ともなったこの名作の魅力のひとつは、霊犬ゼロ号の活躍にあったようである。

そのモデルがこのポチだったのである。私は長らくそのことに気づかなかったが、近年、つのだじろうと会食した折りに、直接彼の口からそのことを聞かされ、ポチがわが国の心霊研究の啓蒙にずいぶん寄与したものだと驚いた次第である。ただし、私は同君にポチの写真を見せたことがなかった。そのこともあってか、改めてそのゼロ号を見たら、その犬種はスピッツのようである。

 
つのだじろうが守護霊との交霊を行って三日目に目撃した霊。
中央が竹内満朋に教えられた朝村真エ門恒則(写真左)
心霊ブームを巻き起こした「うしろの百太郎」(写真右)


エクトプラズムの中に現れた亀井三郎の指導霊インド人のモゴール(写真左)
浅野和三郎の背後に現れた浅野の義姉のサワの霊(写真右)

霊界で魂の永遠の
成長を続けるポチ


このようにして、白猿と犬の霊がふたりの霊能者誕生のきっかけをつくったが、まず、父を導いた臼猿はいったいどのような神霊なのかを父に聞いていなかった。

今回、そのことについて、父の生まれた京橋の産土神社が、赤坂の山王様と親しまれている日枝神社であり、その脊族としては白猿が有名であることから、日枝神社の脊族の白猿が氏子の父を導いたのではないかと思った。しかし、もしそうならば、このような神秘体験が起こったのが柴又帝釈天ではあまりに不自然である。そこで、この寺に何か白猿とかかわりがあるかを調べたところ、次のようなことがわかった。

「柴又帝釈天は日蓮宗の寺で、正式名は『経栄山題経寺』と号する。寛永年間(1624−44)の草創で日蓮自作と伝える帝釈天が本尊である。文献によると、1779(安永8)年の春、庚申の日に、長らく姿を消していたこの板本尊が出現したので、それから庚申の日が大祭となった。以来、当時の庚申信仰と結びついて、江戸庶民の間に除病延寿・魔性退散の神として信仰される。一方、中国の道教に由来する庚申信仰は、日本では、その庚申縁日から、猿の神という受け入れ方をしていた面もある」(『大日本百科辞典ジャポニカ』より)

このことを柴又帝釈天に問い合わせたところ、

「猿を特別に春族として扱っているということはありませんが、確かにそのようないわれがあり、何か猿とのかかわりがあるかもしれません。なお、本殿の木彫の中には『見ざる、いわざる、聞かざる』にちなんだ猿の彫刻があります」

とのことであった。父を導いた白猿は、父に般若心経を奉唱させたこともあり、どうやらこの柴又帝釈天の脊族だったようである。

次に、父に竹内満朋を結びつけたポチのことである。

死んだペットの霊が飼い主の夢に現れたり、反対に、虐殺された動物の霊が人々に崇りをなした例は数多くある。たとえば、『誰もが知りたい死後の真相』(宮沢虎雄編著日本心霊科学協会)には、いろいろな事例が載せられており、また、「ムー」の「公開わたしに起きた奇妙な出来事世にも不思議な体験」のコーナーでも、しばしば散見される。しかし、今回のポチのようなケースは寡聞にして見当たらない。なぜ死んで間もな
いポチの霊にこのようなことができたのだろうか。

人間の場合、死んで間もない霊が現世の人の役に立った特異なケースとして、「天折した霊が、旬日を経ずして、縁ある霊媒の背後霊となって交霊会の運営を補助したいくつかの事例」がある。

前述した竹内満朋の降霊会では、岩崎という若くして亡くなった師の友人が補助霊となっている。そのほかに、物理霊能者萩原真の場合は、「天折した友人梶光之の霊」同じく津田江山の場合は、「戦死した友人今泉貞澄の霊」巫女型霊能者浅野和三郎夫人多慶子の場合は、「24歳でこの世を去った子息新樹の霊」が同じ役割を果たしている。

現在の心霊科学では、「人間は死後、肉体といういわば粗く重たい粒子(または波動)を脱ぎ捨てて、幽体という微小な粒子(波動)に自我(魂)を乗せ、その魂の永遠の成長のために幽界・霊界において修行を重ねていく」ということがほぼ定説となっている。

そのような前提において、なぜ天折した「未熟な霊たち」にこのような役割を果たすことができたのであろうか。このことを私は次のように推論した。

「交霊現象の際には、現世のそれに近い、重たくて粗い粒子(波動)の持
つ比較的純粋なエネルギー(こんなことをやり遂げたかった、といった思いの力)が必要であり、そのために、霊媒の守護神がそれぞれある天折した霊の中から選出して、補助役の任を指名したのではないか」ということである。

そして、多少の飛躍はあるものの、死後間もないポチが行ったこの心霊現象は、これらのケースと類似したことと思われるとともに、このような大いなる成果を生んだ。

これは極めて稀な事例であるかもしれないが、動物にも人間と同じような霊性があり、死後すぐにですら、このような現象を起こす力を持っていることを教えている。

そして現在、ポチの霊は、きっと人間と同じように永遠の向上を目指して成長を続けており、いつの日にか柴又帝釈天の白猿のような、神仏の脊族としてのポジションを得て、より高いレベルで再び人間を指導・加護するであろうことを確信する次第である。

ペットブームの昨今ではあるが、その反面、動物たちに対する"いわれない虐待≠ェしばしばマスコミで報道されて、胸を痛める動物愛好者も多い。私もそのひとりである。

この事例によって、動物の霊的な特性が認識され、だれもが動物たちをいたわるようになり、人間とよい共存関係が強化されるようになることを、ひたすら念願する次第である。


学研「ムー」2003年10月号「知れざる物理霊媒 竹内満朋」より


ある交霊会所見

塩谷信男博士の弟で、日本心霊科学協会・顧問だった塩谷 勉氏の著書に、小田秀人氏が開催した交霊会の記事がありましたので、添付します。

塩谷 勉氏は残念ながら故人です。
(HP制作者)


この頃心霊同好者の間で、「近年は本格的な物理現象が見られる交霊会のないのが淋しい」という囁きを聞いた。また、いわゆる心霊人口も殖えているようだが、そういう人達から、「物理的心霊現象というのを、果して見せてくれる所があるのだろうか」などの声もある。

こういうもどかしさがあることは事実で、心霊知識普及のためにも、物理現象がもつすこし身近なものであったらと思う。しかし最大の隘路は、云うまでもなく、有能な霊媒の払底にあるわけである。

戦後のある時期、かなりそういう機会に恵まれたことはあった。しかし今や、亀井霊媒亡く、萩原、津田の二氏も老境である。数年前、津田江山氏の交霊会に出席する機会を得た。現象は依然として立
派であったが、あとのお疲れは相当なものであった。激しい霊媒活動は命を縮めるとさえいわれるから、七十の声がかかっては、期待する方が無理であろう。

ところでそんな折柄、私は一通の招待状を頂いた。八十余年の変ることない情熱を、心霊の研究と普及傾注しておられる小田秀人先生からである。一月下旬のある夜の、竹内満朋霊媒による交霊会であった。私は日頃の逸機をとり戻すべく、鉄砲洲稲荷神社へ喜んで参上した。

交霊会は二十名余りの出席者であった。初めに薄暗い電球の下に一人ずつ正座して、一分間露出で白黒フィルムで納めた。霊媒がエクトプラズムをカメラに集中して、念じながらシャッターを切るので、しばしば心霊写真が撮れる。当協会の前の新潟支部長玉井克依氏は、この交霊会の常連らしかった。前回の写真が披露されたが、同氏の守護霊の白い髭のお顔がダブッて写っていた。

さて、いよいよ室の隅にしつらえられた暗幕の中に霊媒が入り、型の如く手足を椅子に緊縛し、コップ半分程の水を口中に含んだところで消灯する。小田サニワの祓詞奏上、音楽はトロイメライが鳴り出し、「ローム様の御真言」を一同でお唱えする。霊媒は入神状態になり、間もなくラップがあって、ローム大霊のお出ましとなった。

初め「新しい十円玉を五枚集め、四つに切った半紙の三枚でそれをひねって、お稲荷様にお供えするとお金に恵まれる。興味のないものはしなくてよい」などと仰言るうち、メガホンが飛び上がり、上の方で二本はげしくぶつかり合う。

やがて机が浮上し、いとも軽快に二人の人形のダンスが始まる。そしてついに隣においてあった小机が大きい机の上にのり、空中を動く。それらは目印の夜光塗料が明瞭に示してくれるわけである。

次にローム霊によるまことに巧みなハーモニカ吹奏がある。「ダニューブ河の妖精の踊り」の曲に、会衆一同惜しみない拍手を送る場面もあった。吹奏中のハーモニカは、人間の高さ位の空中で、タテになって微かに動いていた。

物理現象のクライマックスは過ぎ、主として直接談話になる。お声は竹内霊媒に非常によく似ている。ローム霊は、紀元前七、八百年頃ヒマラヤ行者であったとされるが、まことに洒脱で気さくな、親しみのもてるお話ぶりである。

予め願い出ていた四人に対しては、守護霊を調べて教えて下さった。初め何やらゴソゴソ音がしていたが、書いた紙がよく分らないからとて、直接口頭で氏名・年齢・父母の出身地を云わせてから、明快に守護霊を示された。そして「守護霊は永遠の親である。それは種入ったとき(注・受胎の時)は分らぬが、生まれた時にはすでに決まっている」などと、随時真理を説いてきかせて下さるのである。また小田さんには、ひやかしたり教えたり、そのひたむきなお仕事を、豊かな愛情で励ましておられることがよく分った。

最後には、置かれてあった六枚の色紙に、「竜」などの墨痕鮮かな直接書記が頂けた。この時は色紙を空中に掲げ、用意の薄い赤灯で照して、何も書いてないことを確かめさせてから、一瞬の間をおいて字が書けたことを見せて下さった。左下のサインは「老」の一字である。

竹内満朋霊媒による「南竜」(サインはローム霊)

やがてローム霊が帰られて。交霊が滞りなく済み点灯するまで、一時間半くらいであったろう。なお、竹内霊媒は覚醒が非常に早く、口中の水をコップに吐き戻されると同時に、平常状態の話しをされるような感じであった。早いという定評には今も変りはない。

竹内さんも前記の霊媒の方々と同様、すでにその道で著名な方であり、お年も六十台の後半にさしかかっている。しかし髪の黒さ、顔のつややかさなどの点では、精々五十とお見受けする。同氏が、法律関係のお仕事を専門とし、霊媒の方は趣味として(と御本人も云われるのだが)、社会のために、マイペースでやっておられることに、長続きの秘訣がありそうに思う。もちろん天与の才能に恵まれてのことではあるが。

小田先生、竹内先生には、今後も無理をなさらず(また周囲も御無理をさせず)、息の長い御活動と後輩の御指導をお願いしたい。また同時に、若く勝れた霊媒の出現を、待望すること切である。(心霊研究、昭五三、四)

「霊は生きている」塩谷 勉 著より


千鳥会と心霊実験

霊の指図を受けてそののち、私は神道の修行もしました。日本大学の宗教講座を受講したり、易占、九星等片っ端から運命学の勉強もしましたが、何といいましても私を悦ばせたのは千烏会の「降神ユニワ」でありました。千烏会とは、物理的霊媒として有名な萩原瑞道氏を中心に結成された心霊研究と信仰の団体で、その降霊会に、大峯山の水畔老仙と申される神霊が活躍しておられました。

入会以来、降霊会には必ず出席していた私でした雅、天杖(自動書記)で私にも「呂開け」の御神示がありまして、呂開きの祭典行事も滞りなくすまさせていただきました。そ
して「日の大神」より「竹芳呂」の呂号とともに神名「胡妙」を賜わりました。つぎはその折のおさとしの天杖です。


「倉替えなせ。物持ちおるじゃろ
しもうはいかんよ、尊き道から
尊き道へ、絶えず、倉替えじゃよ
倉は物をしまう所と違うよ
新しき「力」の原動力じゃよ
わかるか」


ついで「開、衆愚真眼日月助之」でした。また呂開きは、昭和二十五年八月二十五日でありました。

天杖と申しますのは、降霊の働きによる神言葉であります。支那ではフーチといいますが、千鳥会では天の杖という意味で「天杖」といいます。こうして宇宙の真理、実相、過去、現在、未来、すべてのことが教えられるのです。

書きます折の座法を簡単に説明しますと、T字形になった棒の両端を、二人の人が精神統一をして、持ちながら向い合って坐って行われます。棒の真中に縛りつけた筆が自動的に動いて、非常な早さで文字が書かれるのですが、書く方は眼かくしされている。或日のこと、「真鈴真喜」という天杖をいただきました。この時の筆は、下から書き、上から書き、自由自在に筆が動き、始めは何が書けるかわかりません。一字書き終って、始めて知ることが出来ました。その天杖で示される神霊のお言葉は噛みしめる程味が出て、まったく素晴らしいと、いつも感激しております。

また神霊の直接談話は、一種の物質化で行われます。霊が「エクトプラズム」で発声管を作り、霊が直接談話を行うのです

談話に使用の「メガホン」には闇の中でも所在が判るように夜光塗料が使われます。その光が強過ぎると、邪魔になるとて霊の方で夜光塗料をはがしてしまわれる時もありましたが、談話中は空中に「メガホン」が支えられております。その「メガホン」は高低左右白由白在に飛ばされます。これらの現象について、世間の人はとやかく非難して、幽霊が声を出すはずがないとか、霊媒がしゃべるのだろうとか、手品だとか疑いますけれども、私は幾度となく同座させていただき、また私宅でも二回も催しましたから、絶対に疑う余地はないということを強調いたします。私宅にお集りの方々は、一人のこらずこの降霊会
によって始めて霊界を信じ、永遠の生命なることも悟らせていただいたと大変感謝されて
益々信仰を深めております。

 萩原真氏と物質化した背後霊(写真・超心霊学より)

降霊会の出来事

この私宅で催した降霊会にっいて、そのあらましを述べてみます。岡部祥雅先生から、簡単な解説や実験中の注意事項がありましてから、いよいよ消灯して始まりました。時は昭和二十五年十二月六日午後七時三十分、場所は千葉市登戸町で、霊媒は萩原瑞道先生、審神者は岡部祥雅先生、司会者は千葉洋風先生“記録係は柿内昭霊先生で、参会者は三十名ほどでした。そのとき準備されたものは、スラィダックス、・赤灯、メガホンニ本、男女の綿作りの人形、鈴、菓子鉢に菓子、挿花、花籠につつじなどでした。

この降霊会の経過を記してみます。まず岡部先生の説明ののち萩原先生がキャピネットに入られる。同時に消灯、七時三十分でした。

一同み鈴歌、神の世への歌を二回唱和、赤灯点ぜられて、つつじの花一輸だけ動く。女の人形立ち上り、一同にお辞儀する。岡部先生が「マサコちゃんですか」ときかれる。さもうれしい様子でコックリをして、花籠の置いてあるところまで歩き、その花籠を両手に支えて隣りのテーブルまで運んで見せました。この人形には岡部先生のお子さんの霊が憑いてくれました。

ここで赤色灯は消えしまたが、夜光塗料が塗られているから、その所在ははっきり見えています、テープルがガタガタと大きくゆれて四股をふみます。続いてメガホンが一本高く浮揚して、あちらこちらと飛びます。再び女の人形が立ち上り、井筒夫人の方に向きなおって丁寧にお辞儀をして小さい声ではっきりと「お母さんうれしい」といい、今度は私の方に向き直ってまたお辞儀をして「うれしい」といいましたので、先年私が浄霊をした井筒夫人の亡き愛娘さんとすぐ判りました。その人形が倒れると同時に、メガホンが井筒夫人の肩を何べんも叩いて「うれしい、うれしい」と本当にうれしそうでした。続いて私の肩を叩き、山田さんの肩も叩きました。山田さんはこの霊の姉聟さんに当ります。

メガホンが落ちると、またも机が四股を烈しく踏み出しました。するとまた人形が立ち上って、菓子鉢から菓子をバラパラとみな撒いてしまいました(時によると、この菓子を一個ずつ人形の手から渡されることもあります)。赤灯がまた点ぜら汀てメガホンが赤灯の上に浮揚します。ついで、大峯神霊(いまから一千三百余年ほどまえ、推古帝ならびに聖徳太子に仕えた大学者)の出現で、これから神人交話となります。

大峯神霊「神は人を罰せざれど、入の心迷い起して嵐つくり、嵐まかれて・アプアプするじゃろ。嵐の中でアプアプきらいな者は、目玉曇りさらりと捨てるんじゃよ。目玉曇りあらぱ、目の尺寸に救いの白舟現わるるも見えんよ。救わざるにあらず。己が眼閉じて救い舟、見えざるんじゃよ。己れ一人世の中のみじめ者よと嘆くやから、多いじゃろ、神は何人も憎まんよ。救いの舟出しているに、頭クチャクチャ目玉曇らし、アプアプ己れ一人不幸者じゃと、みじめ者じゃといいおるんじゃよ。先ず先ず、己れの目玉開きが要事じゃよ。己れみじめ者なりと思いおる者おらんか」

サニワ「おらんようです」

大峯神霊「よろし、よろし、きくことあるか」

サニワ「今日は千葉で始めての降神ユニワでございますから、どうか部屋の方々から、お声をいただきとうございます」

大峯神霊「よろし、よろし」

この時、メガホンは室の四隅と玄関、次の間などに飛び回り、大きな声で、参会者のお伺いにお返事をして下さいました。神霊は、その一人一人に親切に教え導いて下さいました。続いてその模様をお伝えいたします。世上でよく行われている常識はずれの神憑かりや迷信的お伺いと似て非なるものであります。

参会者の一人「お伺いいたします。鈴木百合子でございます。私の足は歩けるようになりましょうか?」

大峯神霊「歩けるよ、節分けまで、ここにいるんじゃよ」

この方は坐ったままで全然歩けませんでした。.その目より私宅に二月四日まで六十日間おられて、真手を受けられ十年ぶりで歩けるようになりました。いまでは駆け出して歩けます。

参会者の一人「山田ミサでございます。私の三女澄子の病気は快癒いたしましょうか?三年間休学して居ります」

大峯神霊「よくなるよ。嵐にも雨にも当てるんじゃよ」

この澄子さんは、短時日の真手でよくなり、頭脳明晰でクラス中でも優秀で、いまでは頗る健康になりました。

参会者の一人「飯岡でございます。私のお腹には大きなカタマリがあります。医者は開腹手術せよといいます。手術で治りましょうか」

大峯神霊「因縁断ち切りじゃよ」

参会者の一人「児玉でございます。私の父の招霊をお願いいたします」

大峯神霊「家の棟にしがみついているよ」

この神霊のお言葉に続いて、梶光神霊の声で、ごの霊は「家の棟にしがみついていて、ここへは来られません」との説明がありました。

「福田でございます。いまのような心の持ち方でよろしいのでしようか?」

大峯神霊「全我不全じゃよ。砂サラサラじゃよ。よろし、よろし」

このとき梶光神霊の註釈がありました「我全しと思うは全からざる時であります。不全を知りて、求めんの心こそ全きであります」

この時、男の人形がテーブルから落ちました。サニワの岡部先生は「吉田さん、御主人が来られました。早く前に出てごらんなさい」といわれた。吉田未亡人は急いで前方へ出られる。この人形に憑依した霊は元陸軍中佐で、大東亜戦争に従軍されたが、海上輸送任務中に戦死されたとのことですが、恐らく臨終時の姿の再現だったたものと思われます。

落ちた人形は波の上に乗ったり、水を潜ったりして泳ぐ状態を暫く繰り返しておりましたが、そのうち、力つきて海底に沈まれたのでしよう。その姿が見えなくたつてしまいました。吉田未亡人をはじめ参会者一同は涙に泣きぬれました。

その時、神霊のお声がありまして、

大峯神霊「かえるよ」と申されました。
サニワは「いろいろお諭しを有難うございました。一同に代わって御礼申し上げます」と挨拶された。