ムー大陸の諸説 日本で発見される古代文字 五色人 日本の歴史は超古代にまでさかのぼる
日の宮幣立神宮 皇祖皇太神宮 幣立神宮〜ある女性霊能者の手記

日本は、神秘な国である。古代の文化と歴史を追究し、遺された遺跡や遺物を見れば見るほど謎が膨らみ、際限のない、底なしの泥沼に入り込んでいくばかりだ。確たることは何もわからない。謎だらけである。しかし、一つだけ、ぼんやり見えるものがある。現代人の常識が通用しない世界があった・・・・ということである。


ムー大陸の諸説

このロマンに満ちた彼の大胆な仮説は多くの人々を魅了し、ムー大陸の名は理想郷的古代文明の地として知られるに至った。なかでも日本人のムーへの傾倒ぶりは世界でも類のないものがある。
音楽家の宮下富実夫さんや、画家でもある俳優の中島淳一さん、漫画家の美内すずえさんのように、ムーを題材とする芸術家やムーからインスピレーションを受けたと主張する芸術家が増えているし、学研のミステリー雑誌「ムー」の名もこのムーからとられた名である。
このように、ムー伝説が世に与えた影響は、精神的にもはかりしれないものがあり、文化的意義が大きい。

しかし一方、ムーについての学問的研究においては、最近はチャーチワードの模写に近い文化が環太平洋一帯に見られることは事実だが、海洋地質学上から太平洋に大陸が沈んだとは考えられないという観点から、太平洋は大陸は存在しなかったが、ムー文化圏といったものが存在したというとらえ方が主流となっている。

日本での研究の主なものを拳げていこう。

「金子史郎氏の説」
ムー文明圏というべきものが太平洋諸島にあったとし、洪水伝説は後氷河期の海面上昇や付近の火山活動など島々が襲われたからとしている。
(ムー大陸の謎)

「竹内均氏の説」
専門的知識と多方面に渡る教養を持つ、雑誌「ニュートン」の編集長・竹内均元東京大学教授は、金子氏と同様にムー大陸はなかったがムー文明は存在していたとしているが、金子氏と違ってムー文明の源流を大陸に含めている。
「ムー大陸から来た日本人」

「木村政昭氏の説」
数々の地震を予知したことで知られる海洋地質学専攻の木村政昭・琉球大学教授は、基本的に竹内氏の路線を推し進め、環太平洋文化圏(ムー文明)の中で実際に陥没した陸地があり、その幻のムー大陸そのものにあてはまるのが琉球古陸だとしている。
「ムー大陸は琉球にあった」

なお、木村教授はチャーチワードが指摘した場所には一万二千年前にはないとし、その前提の上に「では、いっそのこと、これまでの検証をもとに、その周辺に比定地を探し、それ自体がムーとなりうるかどうか検証してみてはどうだろう。海洋地質のことはひとまずおくとして、チャーチワードのムー文化、とくにシンボルについてはかなりの真理を含むとみられるところから、太平洋の国々のどこかにその源があるとしていいようである」とし、沖縄で発見されている線刻石版を、チャーチワードのムーのシンボルの考え方に当てはめて解読することができたことから、沖縄をその比定地とし、「しんかい2000」で調査した結果、水没した海岸を発見している。

さらにその後の研究で教授は、沖縄の海底に沈んでいる巨大な石造遺跡を発見しているが、現在はそれをムーの遺跡とはしていない。

日本がムー文化圏であることはすでにチャーチワード自身が語っているが、晩年、彼はムーの最も有力な証拠は日本にあるはずだと語っている。

最後のムー大陸「日本」 神衣志奉より

ムー大陸

近年発達した深海底の調査活動によると「ムー大陸沈没説」はともかくとして、その一部とも考えられる陸地が、一万数千年前まで九州と台湾との間の相当広い範囲に渡って存在しており、それが海底深く沈没し、その後に海面上に残ったものとして薩南諸島が現れているということが科学的に実証されているのである。

すなわち、近年、伊豆半島の三原山噴火を予言していたことで知られている琉球大学の木村政昭助教授らの海底調査によると、屋久島と奄美大島の間のトカラ列島の水域の海面下一二〇〇メートルの海底では珊瑚礁から変成した石灰岩が発見されているし、沖縄本島のすぐ南にーの慶良間列島の沖の六〇〇メートルの海底からは象と思われる陸上動物の骨も見つかっているし、地上の洞窟の奥には大洪水−−−それは陸地の沈没によって引き起こされる大津波−−−のために流されて溜まったと思われる動物の遺骸も多数発見されている。

こうしたことから、このあたりの水域はかつて陸地であって、それが深海に沈んだことは今や疑いのないものと判定されている。しかし、このような重大な事実が一般マスコミには大きく取り上げられていないことは遺憾なことと言うべきであろう。

なお、一九六七年に那須市に近い具志頭村で発見された港川人の人骨は今から一万八千年のものであるとされている。そして、沖縄各地には七〇〇〇箇所もの洞窟があるが、その一部からは、その地に現在はいない種類のものを含め多くの陸上動物の骨が塊って発見されている。これは、チャーチワードが言うような大陸の沈没がこの近海で起こり、その際に発生した大津波により一カ所に集められたものと推定される。


ともあれ、与那国島近海で発見されたこの神殿遺跡こそ日本列島の巨石文化の中でまさしく極めつけのものと言うべきであろう。もし、それが縄文時代に相当する時期のものであるとすれば、従来の歴史像は完全に否定されるだけでなく、この一帯にはチャーチワードの「ムー大陸沈没説」が唱えるような太古文明をもつ陸地があったことになり、今回の発見はそれに科学的な証明を与えたものと言わざるえない。こうして、これまで唱えられてきた日本列島の文化の形成論や世界の四大文明発祥説は根底から覆されたことになる。その意味で、この発見はまさに革命的なものとされなくてはならないだろう。

こういう事実が示されると、浦島伝説や海幸・山幸説話に現れる海底にある竜宮というのは、「その昔、大宮殿のある楽園が海の底に沈んだ」という先祖からの言い伝えから生まれたものではないかと思われてくるではないか。

「失われた大陸ムー」の著者のチャーチワードは、著書を出す五〇年も前のころ、インドで奇妙な文様を刻んだ粘土版を発見し、そこに記されたものを「ナーカル文字」と名付け、「そこには「輝かしい文化をもった大陸が海の底に沈んだ」ということが記されていると解読できたことが大陸沈没説に取り組むキッカケになったのであるという。彼が「ナーカル文字」すなわち「ムー大陸」の文字と呼ぶものは、川崎氏らが紹介している
古代西アジアの石刻文字にも似ているが、それよりもっと酷似しているものがあるのである。それは、沖縄の各地の洞窟の中の壁や石塊・石板に記されている石刻文様なのである。そのうちの一つについて、地震学者の木村政昭氏は、「太陽の子が支配する国が海の底に沈んだ」という記録であると解読している。その判読の真偽については、なんとも判定はできないが、もし、これが本当のペトログラフであり、木村氏の読み方が正しいとすれば、「ムー大陸沈没説」はますます現実性の高い仮説となってくるだけではなく、日本列島の住民こそムー大陸文明を支えた人たちの直接の子孫ということになってくるのではなかろうか。

「異端から学ぶ古代史」澤田洋太郎・著より


古代秘話

この話は、戸来出身の田村源一郎氏から、著者が直接聞いた話をまとめたものである。

俳人の高橋菊翁が、その孫に当たる高橋タカさんに語ったものを、田村氏がタカさん(もちろん個人)より聞いたものだというが、最初に七十過ぎのご老人の口から、“ムの国”と聞いた時、大いに驚かされた。

当然のことながら、チャーチワード氏の著作を知るはずもなく、著者自身も田村氏にムー大陸の話をしたこともないのに、戸来にこんな話が伝わっていたとは思いもよらなかった。

そこで、『古事記』同様、少々エロチックな部分もあるが、記録の意味を含めて、ここに記しておくことにする。

その昔、太平洋上に「ムの国」があり、五色の人種(白、黒、黄、青、赤)が人種差別もなく、仲良く住んでいた。そして年に一度、各人種が集まって来てお祭りを行っていた。

しかし、何万年前のことかわからぬが、「ムの国」は海中へ陥没してしまった。その「ムの国」より生き残った三人の男が日本に辿りつき、内、一人は現在の青森県の八戸港から“八太郎”という所に上陸したが、まだ日本の陸地はドロドロしていてよく固まっていなく、その男は安全な高い所を目指して奥地に入って行き、戸来にやって来たのであった。こうして最初の日本は男ばかりの世界となった。

一方、当時のシナは女ばかりで、そこから遊女たちが日本の長崎へやって来た。そこで、どこでどう会ったのかわからぬが、男ばかりの世界へ女が来たので、世の中がパーッと明るくなり、男たちは喜び、「アマ(女)が世を照らすようだ」−−−「アマ照らす」となり、言葉は神也で、これが天照大神となった。

そして遊女たちも、女ばかりの世界から男のいる世界へ来、男の性器を見て「珍しい棒−−−珍棒」と呼び、これで陰陽完全なる世界が完成したという。

そしてまた、先祖(ムの国)を偲び敬う心から、冠婚葬祭はすべて「五色の旗」を使用することになったという。

「異色古代史・イエス・キリスト日本で死す」絵守きよし 著


日本で発見される古代文字

「中国から漢字が伝えられるまで日本には文字がなかった」と、日本人の大多数はそう信じ込んでいる。義務教育の小・中学校はいうまでもなく、高等教育の場でも繰り返し、そう教えられてきたからだ。

しかし、平成三年七月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生前期末の甕棺から、「古代南インドの象形文字」が発見された。
日本人考古学者が見逃していたものを、たまたま調査に訪れた、インド人考古学者ポンナムバラム・ラグパティ博士が発見したものだ。
意味は不明だが、甕棺の側面に、縦十五センチ、横十九センチの大きさで十字に引かれた線の先端が熊手状の文字が描かれていた。ラグパティ博士は「紀元前三世紀頃まで南インドの土器に描かれていたグラフィティという古代文字と同じだ」と語り、驚きの声をあげた。

しかし、この程度で驚いてはいけないのだ。紀元前二五〇〇年から紀元前三〇〇年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだ。(日本ペトログラフ協会調べ)

つまり、インドどころの騒ぎではなく、超古代の日本人が世界各地と交流していた形跡が見られるのである。ただし、それらの発掘物が、世界各地から古代文化を伝えた部族が集団で日本列島で渡来し、それぞれのルーツを伝える文字を岩に刻み込んだものなのか、逆に日本で発明された古代文字が世界各地に伝えられ、定着し完成するに至った形跡をしめすものなのか、この辺については今のところ定かではない。

いえることは、いずれの文字も、超古代文明の遺産とされる巨石文化遺跡の大岩に刻まれた状態で残っているところを見ると、紀元前二五〇〇年どころか、その起源はずっと古くまでさかのぼる可能性があるということだ。
そして、日本列島が、古代文字の発祥の地だった可能性があるということなのである。


五色人

「五色人」というと、中伊豆に本部がある世界真光文明教団や、飛騨高山に本部のある崇教真光の専売特許のように思っている人がいるかもしれない。あるいは、もう少し勉強しているならば、それは真光の岡田光玉(1901-74)が『竹内文書』の影響を受けた証拠だ、というかもしれない。

ところが、竹内巨麿がまだ四歳の明治十二年、越中立山から遠く離れた豊前小倉で、すでに「五色人」について言及していた神道家がいたのである。黒住・禊・天理・金光・修成・大成・神習・大社・扶桑・実行などと同じ神道十三派の一つに数えられる神理教の教祖・佐野経彦(1834-1906)である。

すなわち、佐野経彦は「五色人」について、同家の物部伝承をもとに、次のように指摘したのである。

「木火土金水は、果たして知る十神よりはじまる。五色の人種は五祖人にはじまる。天神もろもろのみこともちて、諾冊ニ神に詔りして、国土をつくり固めしむ。又諸の祖神をうむ。人の人たる道をもって、累世に相続し伝わる。繩々として絶ゆるなし。子孫八十つづき」

さして五祖人と五色人について、次のように示すのである。

木 オーストラリア人   勾々奴智神  青
火 アメリカ人      火具土神   赤
土 アジア人       埴安姫神   黄
金 アフリカ人      金山彦神   黒
水 ヨーロッパ人     水波女神   白


すなわち、この『神理学入門』が執筆された明治十二年六月の時点では当然のことながら、まだ『竹内文書』は公表されていないのである。だが、佐野経彦という物部氏の末裔を名乗る神道家によって、「五色人」はすでに明らかにされているのだ。彼が、そのことを、自家の物部伝承から得たのか、あるいは物部氏の<記紀>である『』(十巻)や、『旧事本紀大成経』(七十二巻)を読んで知ったのか、それとも単なる五行思想から発想したのか、それについて想像するしかないが、佐野経彦の著書には超古代史文献的要素が散見されるのである。

それは佐野経彦が生まれ育った豊前の小倉(現在、福岡県北九州市小倉南区)という風土からきたのかもしれない。というよりも、九州全体が古代文明の発祥の地であったのだ。とくに、豊の国・肥の国は埋もれた古代伝承の宝庫となっている。たとえば、「五色人」関係でいえば、熊本県阿蘇郡蘇陽町大野には「五色の神面」と「水の玉」の神器を伝えている幣立神宮がある。また、佐野経彦ゆかりの小倉の豊前北部に対し、豊前南部の大分県宇佐地方から<日本最古の神道>を自認した禊流の川面凡児(1862-1929)が出ている。彼の神道霊学にも超古代史文献的要素が色濃く漂っているのである。


「古神道の系譜」菅田正昭・著
 


日本の歴史は超古代にまでさかのぼ

王仁三郎の唱えた人種・民族論によれば、いわゆるセム族とは、日本人、ユダヤ人、満州人、蒙古人、コーカサス人などを含んでいる。とくに、日本人とユダヤ人は、同種の民族であるだけではなく、素盞鳴尊を祖神とするセム族の中核であるとした。

さらに王仁三郎は、セム族をイスラエル人種とも称し、日本人とユダヤ人は、世界経綸を担う重要な民族であると説いている。

泉田瑞顕氏は、『出口王仁三郎の大警告』の中で、王仁三郎のこの説を敷衍してこう述べている。

「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」

もしこの説が正しいとすれば、旧約聖書にセム族として記されたイスラエル十二部族は、実はアジア人であったことになる。

これは、人類の歴史を根底から覆すものだ。そうするとモーゼも、イエスも、みなアジア人であったことになってしまうのである。

欧米社会の拠りどころであったキリスト教やユダヤ教は、アジア人が生み出した教えということになれば、白人主導型の古代世界史観、ふっとんでしまうだろう。これは、白人−−−というよりイシヤにとってみれば、断じて受け入れられないことに違いない。

しかし、最近のペトログラフ研究の観点からしても、この説が次第に立証されつつある。

さらに、興味をそそられることがある。

終戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立つと、すぐに元海軍の水交社にフリーメーソン東京ロッジを設置したことは既に述べたし、よく知られていることでもあるが、マッカーサーは、これと相前後して、石川県の宝達山に向かった言われている。

いったい、そんなところに何があるのか。

実は、宝達山には、モーゼが晩年に日本にやって来て死去し、この地に葬られたという伝説があり、墓まで存在するのである。マッカーサーは、上陸直後、ここに参拝に来たというのだ。

モーゼにまつわるこの伝承は、竹内文書に記されているものである。

(中略)

前述したように、竹内文書など、偽書のレッテルを貼られた古史古伝はすべて英訳され、アメリカでは正規の研究対象になっているものもある。

マッカーサーがもし、上陸すると同時に、モーゼの墓に参拝に赴いたことが事実なら、彼は竹内文書のこの記述を、認めていたことになろう。


日の宮幣立神宮


熊本県阿蘇郡蘇陽町大野にある元伊勢神社日の宮幣立神宮には、「五色人」の面が神宝として伝わっていて「住古、世界の五色の民の代表が参拝に訪れていた」という社伝が残っている。



私が春木秀映宮司や春木伸哉禰宜から直接聞いた話によると、五色人とは、赤人、黄人、青人、白人、黒人である。

赤人とはユダヤ人、アメリカインディアン、アラビアやエジプトの民を、黄人とは日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族、青人とは北欧人やスラブ人、白人は欧州のコーカソイド、黒人はインド、アフリカ、パプアニューギニア圏やメラネシアの民を総称しているという。幣立神宮に参詣するとよく分かるが、神宮では「天地和合、世界の五族・人類の和合」の祝詞を唱え柏手を打つ。

ご神体は豊国文字と阿比留文字が彫られた石板であり、「アソヒノオオカミ」と「日文」が表裏に刻まれている。その鑑石は解説は、拙著『神字日文解』と『ペトログラフ・ハンドブック』に詳述しているので、ご参照いただきたい。ただ、ここでは追加訂正したいことがある。それは、「アソヒノオオカミ」を、私は二冊の本で「阿蘇火の大神」としていた。しかし、それは「阿祖日の大神」であると思う。

                
(幣立神宮の日文石版)神字日文解 吉田信啓 著より

私たちはともすればアソという時、今日の阿蘇山を先ず連想し、思わず「阿蘇」をあててしまう。しかし、もともとは「阿蘇」は「阿祖」であったようだ。
「阿祖日の大神」は「阿祖太神宮の日の大神」であって、幣立神宮は「阿祖幣立日の宮太神宮」であると私は今、改めて思っている。そしてそれは、越中日高見の神明皇祖皇太神宮の別宮として、阿祖で機能していたお宮なのだ。だからこそ、幣立神宮の神宝である「五色人の面」の中の「赤人の面」は「モーゼの面」であり、「モーゼも幣立神宮に来ていた」という社伝が共振してくる。

イスラエルにも「モーゼは日本に行っていた」という伝承があり、それを確かめるために、クロステレビ西日本は東京芸術大学の日比野克彦助教授をレポーターに起用し、イスラエルのヘブライ大学にベン・アミー・シロニー教授を訪れた。幣立宮の五色人の面の写真をシロニー教授に示して、「どれがモーゼですか」と日比野助教授が尋ねると、シロニー教授は迷うことなく、「これですよ」と一枚の写真を引き抜いた。勿論それは「モーゼの面」として伝わる神宝であった。この一部始終を、FBS福岡放送は「古代人は何を残したか」の一時間特集番組で、平成十年十月二十四日に放送した。モーゼの日本渡来伝説は生きている。

幣立神宮の由緒

高天原神話の発祥の神宮である。

悠久の太古、地球上で人類が生物の王座に着いたとき、この人類が仲良くならないと宇宙自体にヒビが入ることになる。これを天の神様がご心配になって、地球の中心・幣立神宮に火の玉に移って御降臨になり、その所に芽生えた万世一系のヒノキ(日の木・霊の木)(一万五千年の命脈を持つ日本一の巨檜)に御降臨の神霊がお留まりになった。これがカムロギ・カムロミの命という神様で、この二柱を祀ったのが日の宮・幣立神宮である。大祓のことばにある、高天原に神留まりますカムロギ・カムロミの命という言霊の、根本の聖なる神宮である。

通称、高天原・日の宮を称し、筑紫の屋根の伝承がある。神殿に落ちる雨は東と西の海に分水して地球を包むという、地球分水嶺である。

旧暦十一月八日は、天照大御神が天の岩戸籠もりの御神業を終わられ、日の宮・幣立神宮へご帰還になり、幣立皇大神に御帰還の報告が行われた日で、この後御神徳大いに照り輝かれた。よってこの天照大御神の和御霊は、ここ高天原・日の宮の大神木にお留まり頂くという、御霊鎮めのお祭り、巻天神祭を行う。しめ縄を天神木に引き廻らしてお鎮まりいただく太古から続く祭りである。

太古の神々(人類の大祖先)は、大自然の生命と調和する聖地としてここに集い、天地・万物の和合なす生命の源として、祈りの基を定められた。この歴史を物語る伝承が「五色人祭」である。この祭は、地球全人類の各々の祖神(大祖先)(赤、白、黄、黒、青(緑)人)がここに集い、御霊の和合をはかる儀式を行ったという伝承に基づく、魂の目覚めの聖なる儀式である。これは、五大人種が互いに認め合い助け合う和合の世界、世界平和のユートピア建設の宇宙的宿願の啓示である。幣立神宮の古代的真実、宇宙観的理想の実現こそ、今日の全地球的願望である。この願いを実現する古代的真実の復元が、これからの人類文明への厳粛なるメッセージである。五色人祭は八月二十三日・五年毎に大祭、その四年は小祭が行われる。

主祭神
神漏岐命・神漏美命(宇宙からの御降臨の神)
大宇宙大和神(オオトノチ大神・神代七代の初代)
大御中主大神(六千年前の人格神・天神七代の初代)
天照大神(三千年前の人格神・地神五代の初代)

その他、隠れた日本史に係わる大神を祀る東西の御末社と、御手洗の水神社がある。


昭和五十三年十月二十五日には、欧州及びアフリカから来日した、真光文明教団の二十五名の外国人団が、神縁浅からぬ日の宮に参宮して、中国人の太伯や、モーゼの神面を拝観して、身につまされるような深い感銘に身を震わせている。

真光文明教団教祖岡田光玉師は、現神社界の社格にとらわれることなく、何らの社格も与えられていない日の宮に一度だけ参宮されている。このことにも皆さんにご注目いただきたい。

日の宮の御魂は、破格の高い神霊であることを見抜かれているためであり、参宮すると、日の宮から大きな加持が与えられる、ということは真実であるからのようである。

何らの社格が与えられていないということは、考えようでは伊勢神宮にも社格が与えられていないのだから、神はかりによっては、日の宮は伊勢神宮と同列にされている、とも考えられるのである。

岡田師は、ジュネーブ大学に、クリスチャンから神道に改宗されたエルベール博士を訪問して、天御中主大神について話し合ったあと、天御中主大神を祭神としている日の宮の霊徳について、大いに話し合われた、ということである。

というのは、エルベール博士が日本に来られて、天御中主大神の奉祭神社を尋ねたのに対して、神社本庁の案内役である岡田調査部長が、それを無視して、日の宮を知らせなかったといわれる。


皇祖皇太神宮

 

皇祖皇太神宮のいわれ

神宮は宇宙開闢の神皇 天地神一大神(あめつちまひとつのおおかみ) (元無極體主王御神(もとふみくらいみぬしおおかみ))から 天御光太陽貴王日大光日大神(あめみひかりおおひなかきおうひおおてるひおおかみ)(またの名メシヤ)までの天神七代、天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめひのもとあしかびきみのしみひかりおおかみてんのう)から二十六朝千百六十八代、そして神武朝の現代までの代代の天皇、皇后を合祀したお宮でありまして 皇祖皇太神宮(すみおやすみらおおたましいたまや)と申し上げます。

本来は 天神人祖一神宮(あまつかみくにつかみはじめたましいたまや)と称して 天超根中国の皇城山(あまこしねなかつくにおみじんやま)(元宮が富山市金屋字平奥五六四三番地(呉羽山近く)に建立され、毎年八月大祭が施行されます。)に遷し奉祭されてありましたが、上古第十代 高皇産靈身光天都日嗣天皇(たかみむすびみひかるあまつひつぎすめらみこと)の御代に神勅があって、初代天皇以来千二百九十三代の今上天皇までを合祀し奉る神宮を皇祖皇太神宮、万国の五色人祖祖(いろひとおやかみ)(外国の国王、王妃、民主尊(みっとそん)ら)を祀る神宮を 別祖大神宮(とこおやおおたましいたまや)と改名されたのであります。(内宮外宮のはじまり)

代々の天皇は必ず、皇祖皇太神宮の大前で、自ら祭主となって大祭礼を行いたまい、即位された後、天津高御座(あまつたかみくら)に御せられ、南面し、手には万国棟梁(とうりょう)天皇としてなくてはならぬ神剣 神日本魂剣(かみやまとたましいつるぎ)を執(も)ち、身には天照日神の稜威燦(あまてらすひのかみみいつさん)として十六方に光り輝くさまを現した日輪章(菊型御紋章)をつけたまい、世界万国から集まった尊者民主(みっとそん)の祝賀を受けられました。

天皇が日本国だけの天皇となったのは神武天皇以後のことで、それまでの代代の天皇は一代に一度は必ず万国を巡幸(世界一周)されることを恒例とし天空浮船(あめそらうきふね)に乗って巡幸されながら、万国それぞれの国王、尊者、民主に謁(えつ)を賜り、任命されるなど光明赫灼とした、正に万国の棟梁、世界天皇でした。

神宮には上古第二十四代 天仁仁杵身光天皇(あめのににぎりみひかり)(五世つづく)の御代に懸族四社(護法守天空神、稲荷福主王神、赤池白竜神、五色商運神)をはじめ九十七狐王の魂も妃られました。

また、不合朝六十九代 神足別豊(かんたるわけとよすき) 天皇の御代にモーゼ、七十代 神心伝物部建(かんこころつとうものべたて)天皇の御代に釈迦、神倭朝初代 神武天皇の御代に老子、第三代安寧天皇の御代に孔子、第六代考安天皇の御代に孟子、第十一代垂仁天皇の御代にキリスト、第三十代欽明天皇の御代にモハメットとそれぞれ来日、参朝し、修業して帰りました。

このように皇祖皇太神宮は、特定の神だけを祀る神社(かみやしろ)ではなく、すべての神々を祀る神宮(たましいたまや)であり、ユダヤ教、道教、儒教、キリスト教、仏教、イスラム教すべてを包括する万教帰一の神宮であります。

神州日本に生きる民族としての誇りを堅持し、世界の五色人もまた皇孫であるとの秘史の教えにしたがい、祖宗を祀り、世界の平和と繁栄のためにつとめることが、神宮を奉斉する私たちの使命です。

皇祖皇太神宮ホームページより

  


弊立神宮〜ある女性霊能者の手記

アリゾナで、ジャン・ロスの店を訪れた瞬間から、それははじまりました。
ジャンとの出会いが、ネビル・ロウへとつながり、彼が喜多見氏とひきあわせてくれ、地球をくるっと半分回った日本で、仕事をする機会を与えてくれました。

それ以降は、スピリチュアルな踏み石が次々と私の前に用意され、やがて五色神面が顕す世界(五大陸)の人々が、いえ宇宙のすべてが再び、「ONE……一つ」となることを願う「五色神祭」へと導かれていったのです。人間を超えた大いなる力は、いつも私たちを愛し、育み、まさにその時、その
場所に私たちを誘ってくれます。

聖なる地、弊立神宮への道はこのことを証明する、素晴らしい体験となりました。

私は世界各国で、多くの人々にヒーリングをしながら、神からの啓示(Knowing)を受けた約束の地に、その場所にふさわしい聖石を納め、それぞれの地をつないでいくという使命をもっています。そしてそれは、そこで出会ったある種の人々(私は彼らを「太陽の人々=people of the Sun」と呼んでいます)をもつないでいくことになったのです。

私はこれまでにダライ・ラマを初め、ホピ族の長老マーティン・ガシュイマやフィリピンの聖山を守る山守の女性など、さまざまな人々にそれぞれの石を渡してきました。

そしてある日、世界地図を広げていると、「次に、石を納めるのは、この島(日本)のどこかの聖地である」との神示が降ってきたのです。そして、次の瞬間、これはもはや「現実」となって私の中にありました。そのときは、名前すら定かでない、東洋にある一つの島でしたが、この島こそ日本の九州、その地だったのです。

いままでも宇宙(神)の意志のままに行動してきた私にとって、もはやそのことに選択の余地はありませんでした。ダライ・ラマにお渡しした聖母の石」、マーティンの「昇る太陽の石」、この「太陽の石」と名付けられたこの石を、九州のどこかに納める指名を今回、私は受けたのです。

日本でのヒーリングやセミナー仕事は、まず東京からはじまりました。

日本の人々は親切で、なおかつ熱心に真理を追求するその姿に、心をうたれました。私はこれまでに、さまざまな国を訪れてきましたが、特にこの国での反応は独特で、とても真摯に私のエネルギーに感応してくれます。それは私に、フィリピンを訪れたときのことを思い出させました。そこで私は日本とフィリピンとの間に共時性を思い、何かのつながりがあるのではないかと考えてみました。すると「母なる国はレムリア、信じるものは聖なる母マリア」こんなひらめきがありました。

後日知ったことですが日本には「アマテラス」という神いて、私はその中にある、マテという音に偉大な母なるエネルギーを感じるのです。

その後、大阪へと仕事はつづき、その間、いろいろな人々とのすてきな出会いを体験しました。そして、いよいよ私が地図で「ここと決めた島、九州の地」での仕事がはじまりました。

福岡でのセミナー終わりに、私は「太陽の石」の物語を参加者に話し、この石を納めるにふさわしい聖地が、九州のどこかにないかを尋ねてみました。これは何よりも重要なことで、私が日本に来た最も大きな目的の一つと言っても、過言ではないのです。

参加者からはさまざまな興味深い意見や情報をいただき、どれもが貴重に思えたのですが、石を納める聖地は一つに決めなければいけません。そのうちのあるところを、この石を納める場所と決めました。そして、ちょうど仕事のオフにあたっていた翌日、その場所へ、石を奉納することになりました。

その日、ホテルにもどり、福岡の友人と翌日の予定を確かめていた時のことです。

それまでは、石をどこに納めるという話題にもあまり興味を示さなかった彼女がふと、こうもらしたのです。

「ところで人類発祥の地といわれるお宮があるのをご存じですか?そこは『太陽が蘇る』という名の町にあるんですよ」

私は即座に「この石を納めるのはその地です」と答えていました。この瞬間、目的地はにわかに変更になりました。

それからは、まるで流れるように不思議な、いえ、必然のさまざまなことが起こりはじめました。

そのお宮の名前は「弊立神宮」、九州の真ん中、熊本県蘇陽町にある「日の宮」として、知る人ぞ知る隠れ宮だったのです。

そこは高天原の中心の皇祖発祥の神宮といわれ、太古の昔から世界人類の祖神を祀ったとされています。そして、これを実証する数々の証の一つとして「五色神面」と呼ばれる、世界人種の祖神を形どった木製の彫像面が奉納されています。

この五色神面の五色とは、世界の五大人種の肌の色を表したもので、その起源とされているの黄人(アジア系)です。そして、その後彼らの子孫が世界各地に広がり、その風土や気候などに影響を受け、赤人(ネイティブ・アメリカン)、青人(アジア南部)、白人(白人系)、黒人(黒人系)、へと派生したといわれています。

また、古代エジプト、ユダヤ人(一説ではモーゼ)によって運ばれた「水の玉」も奉納されています。その他もろもろの算べき証しによって、弊立神宮は世界の霊的中枢といわれ、神々が降臨した高天原であるともいわれているのです。

翌日・友人の「ほら、ジユディスのトレードマークと同じよ」との舌口葉とともに、持ってきてくれた、ある本の表紙を見て、私は驚きました。

その本は弊立神宮春木宮司の著書『青年地球誕生』で、表紙には私のトレードマーク(現在は多少、変わっているのですが)と、色、構図、形にまでそっくりな、太陽の写真が載っていたのです。彼女は私の着ていたトレーナー(これはタスマニアの私のクラスの生徒たちが、わざわざトレードマークを入れてプレゼントしてくれたものです)を見て、そのことに気がついたのでしょう。

私たちは、いよいよ弊立神宮を目指して出発しました。途中出会うさまざまなシンボルを通してのメッセージ(私は常にいろいろなシンボルを通して神の意志を確かめるのです)。

「空高く舞う、大きな美しい鳥」

「新生児を抱く母」

「インディアンの絵」


それらのすべてが明確に、これから起こることの意味を伝えてくれていました。

ここで少し、前述の福岡の友人に話をもどしましょう。

彼女は普段、精神世界関連の仕事をしているのですが、その割にはまったくサイキック・スポットや聖地には、関心のないタイプです。その彼女がなぜ、遠く弊立神宮のことを知っていて、本まで持っていたのかというと……。

その答えを、彼女はこう説明してくれました。

ある日、名古屋から親しい友人が訪ねてきたそうです。そして、その滞在の二日目の朝突然、「私、阿蘇にある弊立神宮に行きたいんだけど、いまからじゃ、無理かしらねえ」と言いだしたそうです。

わざわざ来てくれた友人のために、できるだけのことをしたいと思ったそうですが、福岡から阿蘇まではかなりの距離があり、なにせ神宮の場所すら定かではなかったのです。そして、ともかくその友人の知識だけを頼りに、とりあえず出発することになりました。

あとになってみると、たしかに彼女の信頼できる何人かの友人たちが、そろって弊立神宮の素晴らしさを語っていたことや、日本のさまざまな有名人を案内したという話を田心い出したそうです。そして実際・何度か誘われていたにもかかわらず、そのときは行く気になれず、もはや婆の心からは忘れ去られていたことでした。
彼女とその友人は案の定、道に迷ってしまいました。ところがそのうち、同乗していた子供が突然、
「あっちだよ。こっちだよ」と言いはじめました。そして、本当に幣立宮に着いてしまったのです。
そのときはさして気にもかけなかったのですが、あとになって友人が不思議に思い子供に尋ねてみたそうです。

「どうして道がわかったの?」

すると、こんな答えが返ってきました。

「だって頭の中で、あっちだよ。こっちだよ、って声が聞こえたんだもん。でもお家の人には秘密だよ」

お宮に着くと、ちょうど権宮司様がいらして、思いもかけず正式参拝させていただくことになりました(なにしろ、はじめはただ「行ってみたい」だけだったのですから)。儀式の間中、彼女は意味もなく涙が流れ・足の壁が止まらず、やっとの思いで玉串を捧げることができたそうです。その際に、買い求めてきたのが、例の本だったのです。
いまにして思えば、セミナーの終わりに石の奉納先を尋ねたときに、知る人ぞ知る「霊地」弊立神宮の名前があがらなかったのも不思議なことですが、当時、まったくどのようなお宮にも興味のなか
った福岡の友人が、たまたま弊立神宮だけを知っていたというのも、奇偶です。

やはり「神事の前夜、直前にならなければ、目的地は明らかにされなかった」という、これも御計らいだったのでしょうか。

私は大きな神の御心の中で、すべてのことが黄金の輪の、鎖の一つ一つのようにつながれていくのを感じていました。そして、おのおのの人々がときには幼な子までが(いえ幼な子だからこそ)神(宇宙)の御心のままに動かされていく……。

話が随分と横道にそれてしまったようです。かくして私たちが目的地へと車を走らせていると、福岡の友人がたんたんと、こうきりだして来ました。

「ジユディス、これっていったい何かしら?けさ、お参りのために、シャワーを浴びて、白の上下の服を着ていたの。そしたら朝日が花瓶に反射して、着ていた服にかわいい虹を映したの。そのとたん『約束は成就された』この言葉がからだの中にポーンと入ってきて、次の瞬間、何がなんだかわからなくなって、その場にひざまづき、いつまでも激しく泣いていたの。……あなたも知っているように、私は別にサイキック体質じゃないし、いままでだってそんな経験はもちろんないし……」

こうして私たちは、もう何時間もただ曲がりくねった山道に揺られていました。

「近づいてるわ……。もうすぐ……、もうかなり近くまで来ているはずよ」。こんな言葉が知らず知らずのうちに、口をついていました。

「えっ?ジュディス。どうしてそれがわかったの。私、まだ何も言っていないのに。それどころか、さっきからこの道でいいのかどうか、心配しながら走っていたんだけど……」


そのとき、私はずっと大切に手の中に石をもっていたのですが、それはだんだんと熱くなり、そしていまではもうかすかに振動すらはじめていたのです。

そして、まもなく私たちは無事、弊立神宮に到着しました。

車はさらに上まで上ることができたのですが、私たちははじめから石段を上ることにしました。そうしたかったのです。

雪にうっすらと覆われた、その長い石段をゆっくりと上りながら、ふと見上げると、そこにはまるでときが止まったかのようにたたずむ、弊立神宮の御社が現れました。このお宮から発せられるスピリチユアルなエネルギーは古代いにしえの力、そして大自然のエネルギー、聖なる波動でした。

これも後日、わかったことですが、このお宮の春木宮司は、まさしく「神、自然、人」の三位一体を体現されている方で、この神宮のエネルギーそのもののような方でもあったわけです。

私たちは、この弊立神宮のエネルギーに癒されながら、御神殿へと向かいました。そこではあたたかい微笑みをたたえた、禰宜先生が迎えてくれました。私は女性の神官だったことに少し驚き、それと同時に、彼女の目の中に「魂の同胞」という想いを強く、そして、懐かしく感じていました。
新しい子(新生児)を育む母、これからは女性のエネルギーが、いままで以上に大切になってくるというメッセージを常に受けていた私は、ここでも目の前に体現された宇宙の計らいに感動を覚えました。

余談になりますが、この神宮には二匹のセントバーナード犬が飼われていて、境内を歩き回っているのですが、日本のお宮とスイスのセントバーナード犬、この絶妙の組み合わせに、私は思わず微笑んでしまいました。

ちなみにセントバーナードはアルプスで人を救助することで知られていますが、弊立神宮もまた、たくさんの人々を救い、癒す拠り所となっているわけです。

私たちは御神殿で玉串を奉典させていただき、無事に「太陽の石」を納めることができました。

その儀式の半ば、玉串を捧げるために前に進むと、正面に祀られてあった聖石が光を放ちはじめ、辺りを照らしだしました。そして、さらに前へと進むと、その石は真ん中から開き・黄金に光輝く、天の女性が現れ、近づいてきました。そして、そのまま私の太陽神経叢を通り抜けていったのです。また、お祈りを捧げている時、自然とからだがすーっと、その石に引きつけられていくのを感じました。端から見ていた人は、私のからだが確かに傾いていたと言います。

予備知識がまったくなかった私が、その石こそ「御神鏡」だったことを知ったのは、すべての儀式
がすんでからのことでした。

その後、境内を歩いていると、一本の大木の前でどうしても止まりたくなりました。そして、しばらく、そこにたたずんでいると突然、「ショー」「……ワ」、「ショーワ」というメッセージが聞こえてきたのです。横にいた友人に、伝えたところ、それは崩御された天皇陛下のお名前だということがわかりました。それを禰宜先生に伝えたところ「実は、こんな写真があるんですよ」と二枚の写真を見せてくれました。

そのうちの一枚には、七色に輝く玉のようなものが、いくつもその木に写っていて、もう一枚の方には、尊厳のある風貌の日本人男性の顔が木の上に写っていました。そして、このお顔こそがまさに昭和天皇その方だったのです。

また、別の日に境内を歩いていると、「水の近く、……ヒ・ミ・コ」というメッセージを聞いたのです。その啓示によると、彼女のシンボルは魚の形(勾玉)で、色は赤、その意味は「地上の生活」、そして「血の色」。女性のエネルギーをかの地にもたらす。そして、大地で天と地のエネルギーのバランスを保ちつつ、エネルギッシュに生活する。このことを体現し、みなに伝えるため、また彼女の中には鏡があり、それはおのおのの人々の内なるものを投影し、その人自身に反射する。愛には愛を……、慈悲には慈悲を・・・・、そして、その鏡はヒミコの中だけではなく、すべての人々の心の中にある、鏡であることを彼女は身をもって体現した。

このように弊立神宮では、まったく日本語のわからない私が、霊感や啓示で感じた音をお伝えすることによって、さまざまな共時性が成り立っていきました。

さらにもう]つ紹介すれば、境内の少しはずれた場所にある、やはり一本の大木の前で「(聖人)ペテロの木なので、大切にするように」というメッセージを受けました。

続いて、私は次のことを感じました。

聖書の中にペテロという聖人がいます。そのペテロとは石の意味PETER=PETRAとも書き、礎を意味します。そして、事実、この木は「六〇〇〇年前の民族の確立」を意味する壮大な神話をもつご神木で、ペテログラフの石も随所で発見されているということで、感慨深いことです。

さてここで、私がどうしてもお願いしたいことがあります。このように弊立神宮のことを書くと、何人かの人々はその数々の神秘を体験するために、この地を訪れたいと思うかもしれません。でも、ここで考えてみてください。いま、あなたにとって何が一番大切なのでしょうか?みなさんにお願いするのは、聖なるエネルギーをいただくことばかり考えないでくださいということです。

この弊立神宮が私たちに、いにしえより脈々と伝えてくれている、貴重な地球の鼓動を、心をオープンにして、全身全霊でうけとったそのあとは、どうぞ感謝と尊厳の気持ちを抱き、愛にかえてお返ししてください。

くれぐれも観光名所のつもりで訪れたり、ましてや石や木を傷つけたり、かけがえのない大切なものには、どうぞ、少し距離をおいて、畏怖の念をもって、その素晴らしさを感じてみてください。

これは福岡の友人が弊立神宮で詩った言葉です。
人が昔、もっと自然に動物だった頃、
イルカのように、私たちは音(言葉ではなく、波動)で、
すべてをわかちあっていたのかもしれない。
自分のからだも、自分で癒し、
祈りすらも、きっと自然に音となり、
からだからあふれだしたに違いない。

思い出してみませんか?
いにしえの鼓動(エネルギー)にふれ、
昔、昔の私たちを……
奥底に眠っている、あなたの魂を……

すべてが、一つで、すべてが遊び(肩の力をぬいた自然体)で……
自然の中に、自分の中にある神に、
感じるままに生き、そして感謝し、詩ったあの時のことを、
いま、もう→度、あの時のあなたになって……。

神様とお話できたらいいね。
神様にありがとう、言えたらいいね。


話をもとにもどしましょう。

また、あるとき、境内で強い神示を受けました(とにか鼻立宮ではこのようなことが次から次に起こるのです)。

「水のわき出る小さな泉」を囲んで、さまざまな国の人々が輪になっているビジョンが見え、それをお伝えするようにとのことでした。すると、なんとお宮の後方に霊水として名高い、御神水のわき出る池があり、「東御手洗」と呼ばれていたのです。

そして、弊立神宮は昭和二+二年の昔より、万物和合の心をもって、「世界平和」と「地球安泰」を祈りあげられていたこと。そして、それをいつの日か世界の人々とともに、この地で祈ることが夢であること…...、瞬間、私はそれがもはや夢ではなく、近い将来、必ずや実行されるであろうことを確信しました。そして、それはやがて遠大で深遠な世界規模の御神事となってゆくだろうという予感がひしひしと胸に押し寄せてきたのです。

さて、ここで五色神祭が行われるようになるまでのお話をしたいと思います。

昭和二十二年六月二十三日(旧暦五月五日)、神示を受けられた春木宮司様は、神宮内で祈願祭をはじめました。このお祭りは五色(人種〉の垣根を取り払い、すべての人々が輪となって一つになる。そして、「神、自然、人」の三位一体、宇宙が一つであることを思い出し、「われわれの母なる地球安泰」の祈りを込めた、壮大なる御神事、祈願祭でした。

そして、当時は神宮内だけであった祈願祭を、いつの日か世の人々に広く開放し、世界中の人々が祈りの心を一つとし、皆で心を合わせた祈願祭を行うときを待ち望んでいたのです。それは、あたかも胎児が母親の体内で、出産の時を待つかのように。

当時の宮司様のお気持ちを拝察するために、春木秀映宮司著『青年地球誕生』の中から、一部抜粋したいと思います。それにしても、この本が昭和四十八年の発刊で、いまから二十五年も前の文章ということにも改めて驚かされます。戦時中ですら「世界平和」を唱えられた宮司様ならではと感動します。

『−−皆さんの若々しいとてもまじめな祈りの姿をみると、私のまぶたに描いていた夢が。もはや現実となっできたような、そんな錯覚をおぼえるのです。−−私は故人の言ったコトバのようにアジアは一つとか、地球は一つとか、そんな考え方よりさらに大飛躍して、字宙は一つという新しい考え方をしています。−−
ところでみなさんはご両親から生まれたことになっていますが、ほんとうは、どんなに事実上の確信があっても、自分自身で立ち入ることのできないのが、親子の縁の宿命で、これが「生みの親より育ての親」という、古いコトバがあるゆえんです。
ところが、地球対人間となると、空気から水まで、何一つ切り離せない、絶対的なつながりがあります。せんずるところ、地球こそ皆さんを生んだ、母体に外なりません。
これを理解するために、地球の立場から考えてみると、地球が生んだ初めの微生物から、段々と進化に進化を重ねて、ついには万物の霊長たる、人間を生みだしたことは、考古学的にみて、納得のできることではありませんか。そしてついに、皆さんのような、素晴らしい傑作を生み出したことになりましょう。ですから、この無限の活力が地球自体にあって、それが正に入間の母体であるはずです。
そんなわけで、ただいまの皆さんを祝福すれば、それは青年地球自体の活力に対する、祝福でもあるわけで、こんな素晴らしい祝福が又とありましょうか。そしてこのような自覚が、きょうの時点でもつとも大切であって、この活眼を開くと、それが郷土愛や、国土愛の目覚めとなり、大きくは地球愛へと展開して、そののびゆく愛のつばさは、世界の平和の道へと、たどってゆくに違いありません。
さらに人類の最大の脅威となっている、原・水爆をはじめ、大小の戦争や、公害による環境破壊などが、このような国土愛を忘れては、真の救いは見つからないでしょう。今日の道徳や宗教の無力を思うと、このような自覚を呼び起こす、根本的な宗教感が、待望せられてなりません』


それから二年後、初めてこの祈願祭を世の人々に開放した、五色神祭が幣立神宮でとり行われました。古くから、このお宮を自分たちのお宮として、真摯にひっそりと守ってきた人々が、幣立がこのように再び脚光を浴びるようになって、どのように感じられるかは、想像するにあまりあります。

全国から霊的な世界の中で道に迷い、疲れ切ったたくさんの人たちが、魂の平安を求めて、このお宮の石段を登ってくるとき、古くから大切に守ってきた人々には、非常に重い試練になることでしょう。ひょっとしたら、全国の注目を浴びることで、神宮自身のエネルギーが変化してしまうのではないだろうかといった怖れもあるでしょう。確かに、外からはそのように見えるかもしれません。けれども本当に昔に、神自身が蒔かれた聖なるエネルギーは決して変わることはないのです。

幣立は何世紀もの間、隠された神宮でした。しかし、いま世界は危機に瀕しています。世界が生きのびるためのたった一つの道は、いままで隠されてきた秘密の扉を開いて、再び世界に顕すことだということを、幣立自身はご存知だったのです。

ちなみに、この「ヘイタテ」とは、ホピ族の言葉で、「扉を開ける」という意味があるのです。

宮司様、禰宜先生、権宮司様、そして社家のみなさん「五色神祭」を開催してくださって、本当にありがとうございます。この式典にたどり着く前の何日間かは、それにまつわるすべてをテストする試練のエネルギーを感じました。確かにそれは私にも試練のときでした。このようなスピリチユアルなテストを受けたあとは、いつでも神の愛と奇跡を感じます。それはまるで、テストに受かったことにたいするごほうびのようです。

神の(宇宙)愛は五色神祭の式典の間も、そして、そのあとまでずっとあふれていました。この時の非常に深い霊的な体験は、言葉で十分に表すことはできません。けれどもこの日、一九九五年八月二十三日に五色神面の一つのマスクの代表者として、セレモニーに参列できたという体験はいまでも、そして、これからもずっと私の中で生き続けることでしょう。
宮司様がこの式典に参列された人々に向かって、「このことが世界平和の一つの礎となり、活きて働くように……」と話をされた時、私のハートは喜びでいっぱいになりました。私と宮司様の出会いは定められたものでした。そして、実際に出会えたことを神様に心から感謝します。

宮司様、あなたは強さと信念をもって話されましたね。

禰宜先生、女性であるがゆえに、受けられたさまざまな試練を感じます。でもあなたは、尊厳をもつてそれを乗り越えられました。そして、あなたの中には、私と同胞のスピリットが見えます。世界が一つになるために尽くすという神の仕事を手伝おうと、力強く立ち上がっている魂を。

宮司様が言われたように、神の決意と祝福の年、二〇〇〇年の五色神祭大式典へ向かい、毎年八月二十三日には、弊立神宮で五色神小祭が、一般の人々にも開放して行われています。「すべてはひとつ」の志を同じくする人々、私はいままでの話の中で、何か魂に響くもののある人は、このお祭りに参列
なさってみてください。

神の御心に叶うならば、私もできるかぎりこのお祭りに参列させていただきたいと思っています。

そして、来る二〇〇〇年八月二十三日五色神大式典の大祭には、再びたくさんの人々とともに日本に帰ってくるビジョンを抱いています。その日まで、私は宮司様との約束どおり、他の大地に住む長老たちにこのセレモニーのことを伝えていくつもりです。

神、そして素晴らしい宮司様と交わした約束を、私はベストを尽くして守っていきます。私は仕事でしかたなく大都市に滞在しなくてなりませんが、エゴが顔をのぞかせると、自分の状態に不満を感じはじめてしまいます。

でも太陽の大地で、再び五色神祭に参列するため帰って来れるのだという思い、そして、弊立神宮での思い出が、そんな私を前へ前へとあと押ししてくれるのです。

ここで終わりに、一九九六年三月十二日の(神よりうけた)メッセージを紹介して、この話を結ぶことにします。

西暦二〇〇〇年、みなさんと弊立でお会いしましょう。


春木秀映宮司とジュディス・カーペンター

私のように、世界を回って仕事をしておりますと、ときどきこのたびのように開かれた明らかなる意識、かつ深遠なる理解と叡智に支えられた魂の持ち主との出会いをさせていただくことがございます。

弊立神宮の宮司様のような方とお会いできたことは、私がいかに幸せな身であるかを、あらためて感慨深く思うのでございます。

宮司様は、霊的な叡智、そして内なる神よりの啓示(Knowing)により行動される方です。お会いしていると、あらためて宮司様のあふれる愛、あたたかいお心、みなぎる力を感じます。宮司様との出会いにより、神の深遠な御心を強く再確認させていただきました。どれだけ私の魂が寂しさを感じていても、仕事がどれほど困難な状況下にあっても、神の力の許で「私たちすべてが一つでつながっている。そして、たがいに支え、助け合い、高めあうことができる」ことを、心強く感じることができました。

一九九五年八月二十三日、弊立神宮で行われた"五色神祭≠フ式典は、天からの祝福がみなぎっておりました。いにしえからの貴重な言い伝えを、日頃は忘れがちな日々ではありますが、式典のその日は、まるで現代の奇跡を目にするがごとくでございました。

国を問わず、どこに在りましても、このような奇跡とそれを目にする瞬間というものは、きわめて貴重な体験でございます。

このたびの式典のように、人生に起こる神からの教示や出来事は人の口から口へと語り伝えることで、その中にある深遠な真理(奇跡)こそが、真理ゆえにもつ、その波動で、人の心と魂に深い感動と活力を与えてきたのです。
また、このような真理こそが、人生により尊い価値をもたらすための喜びと導きを与えてきたといってもよいでしょう。

はたして、現代社会において弊立神宮≠ナ私が体験したような、いにしえからの真理(奇跡)を、他のどこでその片鱗すら体験することができるでしょう。まさしく地球の宝、天からの贈り物が"弊立神宮"ここにあることを忘れてはなりません。これを普通の言葉に置き換えるならば「垣根を取
り払い、一つとなった無条件の愛」と呼んでもよいのではないでしょうか。

その愛の波動がすべての人を平等に包み、支え、さらには肌の色を超えて、入種間の紛争も超え、世界の津々浦々まで広がっていくのです。

世界各地で、美しい魂の人々がさまざまな形で、時にはごく普通の方が、ごく普通の仕事を通して愛の波動を伝えています。

それは、恵まれない人々に手を差し延べ、この地球を癒すという共通の目的をもった人々なのです。癒しに心を傾け、愛の海に立つ、はじめは小さなさざ波を、いつかは大きなうねりに変えることを目指している、私たちも当然ながら、その一員でございます。

いろいろな否定的な状況を、見聞きする今日でございますが、忘れてはならないことは、常に心を一つにして、世界中の人々との友情を築き、愛をわかちあい、癒しに心を傾け、常にそこにフォーカスして(焦点をあてて)いきたいということです。

私をあたたかい心で迎えていただきまして、心から感謝申し上げます。日本という国が、終わりのない感動を魂に感じる国であったことに、本当に喜びを感じています。必ずやまた、お目にかかれる日を楽しみにしております。

また「私たちはすべては一つ」の心で、私たちと志を同じくしてくださる人々との出会いを楽しみにしております。おたがいの国、人々が、美に包まれますように。

また次の出会いまで魂に愛と幸せがありますように、お祈り申し上げます。

ジュディス・カーペンター
一九九六年三月十二日神よりの啓示


「太陽との出会い」ジュディス・カーペンター著 より